クリックすると詳細が見られます犬山城
犬山市犬山北古券
築城/廃城年 1537年?/維新
築城者 織田信康
姫路・彦根松本と並んで国宝四城のひとつ。
平成16年4月の財団法人への譲渡までは唯一個人所有の城であった。
1469年現岩倉市の小口城の出城として木ノ下城が築かれた。織田信康(信長の叔父)が1537年に木ノ下からこの犬山に城を移したのが始まり。以後城主はめまぐるしく変わっていき、小牧長久手の戦の際には旧城主池田信輝によって落城もしている。


その後木曽川を挟んだ金山城から天守を移築し、犬山城天守としたというのが通説であったが、昭和の大改修の際に移築の跡は発見されなかった。実際の天守閣建造年は不明だが、もともと二層二階の御殿に小さな望楼をのせた建物で、その後慶長時代に現在の望楼部分が増築されたものらしい。これは天守閣としては古い形態の部類となる。
1595年に入城した石川光吉、1600年に入城した小笠原吉次の手によって城下町の整備等、近世犬山城の縄張が完成した。1617年成瀬正成が尾張徳川家義直の家老として入城、以後成瀬家が維新まで城主をつとめた。


維新後、天守と櫓を含めて建造物の破却が計画されたが、保護運動の高まりによって、天守閣とほとんどの櫓は破却を免れた。しかし1891年の濃尾地震で天守以外の櫓は全て倒壊、また倒壊こそ免れたものの甚大な被害が受けた天守も再び破却の論議が出始めたが、当時の県議の必死の保護運動と破却を惜しむ声の高まりによって、破損した城の修理と保存を条件に旧城主成瀬正肥に譲り渡された。以後唯一の個人所有の城として現在に至っていたが、高額な贈与税(固定資産税は免除)がネックとなり、平成16年4月からは財団法人に譲渡されたため、唯一の個人所有の城ではなくなってしまった。