クリックすると詳細が見られます沓掛城
豊明市沓掛町東本郷
築城/廃城年  ?年/1600?年
築城者  ?
築城年代は不明。1325年この城から近藤三郎左衛門宗光が後醍醐天皇に召しだされた後戦死しているのでこれより以前の築城は間違いない。
この後近藤氏が9代続き、9代景春は松平広忠から織田信秀の傘下に入った。信秀死後、鳴海城主山口義継が織田家から今川家に鞍替えした際に景晴も今川家に属した。
桶狭間の戦いの前日、今川義元がこの世で最後の夜を過ごしたのはこの城。義元はこの城を出て大高城へ向かう最中に信長の攻撃を受け戦死してしまう。
桶狭間で義元が戦死するとこの城の守備にあたっていた浅井政敏は城を退去、景春が再び城に入る。しかし合戦の二日後には織田方に攻められ、景春は城の外で戦死、城は落ちた。


その後、城は恩賞として簗田政綱に与えられたが、政綱の移封後は織田信照(信長弟)、続いて川口久助が城主となった。久助は関ケ原で西軍につき伊達家預かりの身となり、城は廃城となった。
堀・曲輪などが良好な状態で残る。