クリックすると詳細が見られます常滑城
常滑市市場町5
築城/廃城年  1479年?/1590年
築城者  水野忠綱
緒川城を領していた水野清忠が三男忠綱を常滑に進出させ築いた城。忠綱の子(名不詳)からは水野監物を名乗る。
孫の守隆は信長の武将として浅井朝倉攻めをはじめ数多くの戦に参戦していたが、本能寺の変で明智方についたため常滑城を追われ、京で死没した。忠綱〜守隆の三代、そろって京との結びつきが深く、著名な連歌師を城に招いて連歌会を行っている。
守隆が追われた後、信長の次男信雄がこの辺りを領したが、秀吉の怒りをかって転封を命じらると、その後は徳川家康家臣高木広正が城主となった。1590年、家康の東下に広正も従い城は廃城。
現在は、正法寺隣に碑と説明板、天理教常滑分教会前に碑が残っているのみ。正法寺や桃源寺に城跡の崖が残っており、かすかにその縄張を示している。


常滑散策中に偶然、「常滑の史跡を守る会」が発行した城のパンフレットを手にいれることができた。そのおかげで事実上碑しか残っていない城ながらも色々まわることができた。B3両面カラー刷で、写真や資料が豊富に掲載されていた。天守を持つ城でもなかなかここまでのパンフレットは発行できない、他の城でもこうあるとありがたいのだが。


常滑の史跡を守る会の「常滑案内人」さんのHP
常滑歴史探訪