クリックすると詳細が見られます設楽原(長篠)古戦場
新城市茶臼山他
年月  1575年5月21日
対象者  ○織田信長・徳川家康vs武田勝頼×
1575年5月21日、織田・徳川連合軍が武田勝頼の軍を破った戦い。これ以後武田家の屋台柱は傾いていき、7年後の1582年、天目山で滅亡する。


戦いまでの流れ
1573年9月 徳川家康、長篠城を攻略。
1575年4月 武田勝頼、長篠城包囲。
1575年5月 織田信長出兵。
同月18日 信長茶臼山に本陣を置く。
同月21日早朝 家康家臣、酒井忠次、武田軍後方の鳶ノ巣山攻略に成功。設楽原の戦い始まる。
午後2時頃、勝頼退却。

よく言われるような、鉄砲三千丁による入れ替わり攻撃というのは無かったようだが、鉄砲の大量使用、鉄砲の為の野営陣地の有効活用等、大規模な野戦で鉄砲を効果的に使った戦いであった。