1584年、中央を制した豊臣秀吉が織田信雄(信長次男)・徳川家康の連合軍と戦った『小牧・長久手の戦い』における局地戦場跡。
両者は現在の愛知県小牧市付近で陣を張ってにらみ合いを続けていたが、豊臣方は武将、池田恒興の進言により、徳川家康の本拠地、三河岡崎を衝くという作戦に出た。総大将は三好秀次(秀吉甥)、他に池田恒興、池田元助(恒興嫡男)、森長可(恒興娘婿)、堀秀治等が加わる大軍となったが、進軍途中に家康の追撃を受け、この地で激戦となった。奇襲を受けた形となった遠征軍は、秀次敗走、恒興、元助、長可の三名が戦死と大敗北を喫した。
局地戦とは言え、秀吉軍を破った家康は名声を高める事なる。
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