織田信長の最後の居城。天下布武も見えてきた1576年に築城を開始、1579年天守閣完成、信長も正式にここに移った。
琵琶湖のほとりに建てられており、早船で琵琶湖を渡れば京へは半日で到着でき、さらには船による大量・迅速な輸送も可能であった。
1582年本能寺の変後、天守閣を始め主要部分は炎上した。炎上の原因は未だに不明であるが、明智軍による放火、次男信雄による放火等の説がある。
主要部炎上後も城は存続していたが1585年、羽柴秀次(羽柴秀吉の甥)の近江八幡城建設により廃城となった。
平成元年から二十年計画で発掘調査が行われており、現在も整備が進んでいる。実際最初に訪れた時とはかなり違った印象を受ける。安易な修復等を行わず、なるべく現物を使用しての修復に努めているようで、安易な整備を行う城も多い中で非常に良い印象を受ける。
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