熊本市
熊本城





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熊本市本丸
築城/廃城年  1608年/年
築城者  加藤清正
秀吉から肥後半国を与えられた清正が家臣飯田覚兵衛、森本儀太夫を普請奉行とし千葉城・隈本城を大改修して建造した城で日本三大名城のひとつとして数えられる。築城技術の成熟期に築かれ大天守、小天守、櫓49、櫓門18、城門29を備える実践的な城である。
特に石垣は武者返しと言われる扇形の曲線を描き、上に登るほど垂直に近くなっていく。


築城時は徳川家と豊臣家の関係が次第に険悪となっていく時期と重なっている。その為この城は有事には秀吉の子秀頼を迎え入れる意があったという説もあるが、清正は両家の戦が行われる前に没しどちらにしても秀頼を迎え入れる事はなかった。


加藤家は二代広忠の時に謀反の意ありと取り潰され、後に細川家が入り明治維新を迎える。明治10年の西南戦争時には薩摩軍を相手に50日に及ぶ篭城戦を行い築城後250年経ってこの城の堅牢ぶりを証明した。ただその際に城内の火事により大天守、小天守をはじめいくつかの建造物が灰燼に帰した。現在でも昭和35年に建てられた復元天守、現存の宇土櫓を始め、見所は多い。