クリックすると詳細が見られます甲府城
甲府市丸の内
築城/廃城年 1583年/維新
築城者 徳川家康
武田家滅亡後、この地は一旦織田領となったが、本能寺の変後に徳川家康が領し建てられた城。家康の関東移封後には羽柴秀勝が城主となった。その後加藤光泰、浅野長政が城主となったが関ケ原後には再び徳川家が領し、平岩親吉が城代となった。


中仙道の守りの要の城としてそれ以後は徳川家の親族が城主となる事が多かった。徳川義直(家康九男・後に名古屋城主)、徳川忠長(家光弟・後に自刃)、徳川綱重(家光三男)、徳川綱豊(綱重嫡男・後の五代将軍家宣)。綱豊の後には柳沢吉保が入った。柳沢家転封の後は天領(幕府直轄地)となった。


幕末、中仙道沿いに江戸へ向かう官軍の板垣退助が戦う事無く入城した。新撰組も幕命により抑えに出向いたが官軍入城後だった。柏尾で戦闘となったが新撰組は破れ退却した。