姫路市
姫路城
朝来郡
竹田城





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姫路市本町68 
築城/廃城年  1333年?/年 (現存天守 1601年)
築城者  赤松則村? (池田輝政)
国宝四城のひとつ(他に彦根犬山松本)であり、世界遺産指定もされている。他の国宝三城が天守閣を中心とする建造物のみであるのに対し、この姫路城は連立天守にからむ建造物のほか多数の櫓など見所が非常に多い。


最初の築城は諸説あるが、1333年赤松則村が姫山に築城、1469年赤松政則は一族である小寺豊職を入れたとされる。
戦国時代に入り1580年織田信長家臣羽柴秀吉の中国攻略時に小寺氏家臣黒田氏が城を献上、秀吉はしろを改修し三重三層の天守を建造する。その後秀吉の弟秀長、姻族の木下家定らが城主となった。関ケ原の合戦の後、池田輝政が播磨52万石を与えられて吉田(愛知県)から移封してきた。輝政は秀吉時代の縄張に手を加え総構を造営、現在も残る連立天守もこの時建造された。
大阪の陣後、三代光政は幼少を理由に鳥取へ移封となり、後に本多忠政が入る。1618年忠政は西の丸を造営、嫡男忠刻・千姫の居館を建造した。現在の姫路城の原型はこの時完成する。その後奥平家(松平)−松平家−榊原家−松平家−本多家−榊原家−松平家と親藩・譜代大名が目まぐるしく交代する。1749年酒井忠恭が藩主となってからは10代酒井家が続き維新を迎えた。


明治に入り、大阪鎮台連隊が三ノ丸に入る。不要となった建造物は23円50銭で個人に売り渡され破却の危機を迎えたが、陸軍大佐中村重遠の必死の懇願により城は買い戻され保存されることとなる。
昭和6年天守等建造物をはじめとする遺構が国宝第一号として指定される。昭和10年昭和の大修理開始、戦争により一旦中断したが昭和25年から再開して5年後の昭和31年、あしかけ20年に及ぶ大修理が完了する。翌年天守群などが新国宝の指定を受ける。そして平成5年日本で第一号となる世界文化遺産の指定を受けた。


天守群、多数の現存櫓、複雑極まりない縄張など見所満載の城であるが、それほど城が好きでなくてもその美しさには思わず声が出るほど。深く知らなくても楽しめる姫路城であるが、ほんの少しの予備知識があると何倍も楽しむことができる。