竹田城 | |||
朝来郡和田山町竹田字古城山 | |||
築城/廃城年 | 1431年/1600年 | ||
築城者 | 山名持豊 | ||
1431年、山名持豊が築城、家臣の太田垣光景に守らせる。 1578年、1580年の秀吉弟、秀長による二度の但馬攻めで落城。秀長が城主となる。その後、家臣の桑山重晴が城主となるが、重晴の移封によって赤松広秀が城主となり、この時大規模な改修が行われている。 1600年、西軍に与した広秀は敗戦後、鳥取城攻めに従事するが城下に火を放った責により自刃させられる。この際、廃城。 |
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山麓全体が要塞化した感じを受ける。麓の町からも山の頂上付近の石垣を見ることができる。安土・姫路と並んで、自分がどうしても行きたかった三城の一つ。 土曜の早朝に訪れた為、他の観光客も見受けられずゆっくり散策できた。当時デジカメを持っていなかったため、携帯カメラで数枚撮影したのみ。 |