伊賀上野城 | |||
上野市丸の内106 | |||
築城/廃城年 | 1581年・1585年・1611年/維新 | ||
築城者 | 滝川雄利/筒井定次/藤堂高虎 | ||
織田信雄家臣の滝川雄利がこの地を領し、平楽寺跡に城を築いたのがはじまり。秀吉時代に雄利は追放となり、1585年に郡山城主であった筒井定次が伊賀守に任じられ入城した。定次は城を大規模に改修、本丸には3層の天守閣が築かれた。 秀吉の死後、関ケ原の戦いの際には西軍に城を奪われたが定次は東軍参加の為、本領は安堵されている。 1608年に定次は家中内紛とキリシタン疑惑で改易、後に藤堂高虎が入った。高虎は定次時代の城域を更に拡大させ、大規模な改修を行ったが天守閣は完成直前の1611年に大暴風雨で倒壊、以後再建はされなかった。また縄張自体も大阪の陣で豊臣家が滅亡すると、それ以上の工事の必要性が無くなり中断、若干中途半端となっている。 しかし名古屋城・和歌山城・伏見城等を手がけた築城の名人藤堂高虎の城らしく、この城も高さ日本一と言われる30数mの高石垣が築かれた。 高虎はこの後伊勢安濃津に転封されたが、この城は藤堂藩支城として城代が置かれ維新を迎えた。 現在の天守閣は昭和10年に地元政治家の川崎克氏により築かれた復興天守閣。 ちなみに定次は大阪の陣の際に豊臣方への内通嫌疑により切腹…。 |
|||
忍者の里として有名な伊賀の城らしく、近くには忍者博物館がある。また松尾芭蕉ゆかりの地ということで「芭蕉翁記念館」・「俳聖殿」等もあり一日観光できる城。 |