伊賀上野城その1 

本丸南側に建てられている城碑。結構立派な碑だった。

本丸南側から撮影した木造復興天守閣。もともと暴風雨で倒壊したまま建造される事がなかったが、昭和10年、地元の政治家川崎克氏によって建てられた。正式には「伊賀文化産業城」というらしい。

南東部から撮影。有名な高石垣に目がいってしまうが、この天守台の石垣も結構高い。

天守台石垣の角。算木積で組まれているのが良く分かる。石垣の建造には穴太衆があたっている。

天守閣の模擬石落し。実際は穴が開いていないが石落しの仕組みとしては良く分かる。

天守閣内部から外を撮影。復興とはいえ、建造は昭和10年、70年近い歳月を経ている為なにか重みも感じられる。

天守閣内部。戦後に建てられた復興天守閣とはかなり異なる。コンクリート製の壁もバリヤフリーの概念もない。階段は急な傾斜で手すりをちゃんともたないと危険。また頭上も低いので下ばかり見ていると頭をぶつ。

同じく天守閣内部。内部は壁で仕切られておらず広々としている。あまり城に興味がない人であれば現存天守閣だと言っても通じるかもしれない。

天守閣から撮影した小天守。
ダースベーダーに似ていると思った。


小天守には深さ100m(!)の忍井戸がある。

本丸跡。本丸には天守閣・櫓が建造されなかった。

説明板では「筒井古城」とある本丸東部の石垣。天守閣がポンと建っている本丸中央よりはこちらの方が面白い。
筒井氏の時代はこちらが本丸であった。藤堂氏の時代には城代の屋敷が建てられていたらしい。
枡形門になっている。

三重県の城次頁
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