築城者・築城年共に不明。室町時代後期に、この地を領していた本山氏の砦が築かれていたが、勢力を拡大した長宗我部国親に城を追われている。1591年国親の子、元親はこの城を改修し居城とした。元親没後、盛親が家を継ぐも、関ケ原で西軍に組したため所領没収となり、新たな領主として山内一豊がこの地を領することとなる。浦戸城は要害の地に築かれた城であったが、城域が狭く城下町の形成が難しかったことと、旧長宗我部家臣の反抗が続いたため、新たに高知城を築いて居城としたため、長宗我部氏のシンボルともいえるこの城は廃城となった。
高知の代表的観光地である桂浜に面した山の尾根に築かれた城であるため開発が進み、遺構はほとんど残されていない。龍馬記念館の前に本丸跡の小高い丘と、その周辺にわずかな石垣と井戸跡を残すのみである。 |