クリックすると詳細が見られます名古屋城
名古屋市中区本丸
築城/廃城年  1614年/年
築城者  徳川家康
幕府が開かれて4年後の1607年、家康は9男の義直を清洲城に入れた。この地を豊臣家への防ぎとするには土地の規模が小さすぎる上、五条川の氾濫等が頻繁であったため、家康は清洲から尾張の本拠を移すことにした。その際、那古野・小牧・末森が候補地であったがその中で名古屋台地にあった那古野が選ばれた。築城には天下普請として前田、黒田、細川、加藤、蜂須賀、池田等20の豊臣恩顧の有力大名が助役として土木工事を命じられ経済的にかなり圧迫されることとなった。
以後明治維新に到る250年間御三家の筆頭尾張徳川家の居城となった。維新後も多くの城が破却されていく中で名古屋鎮撫台として破却を免れ、天守閣や本丸御殿等が国宝にも指定されたが昭和20年の空襲で金の鯱を退避させるための足場から火の手が上がり炎上消失してしまった。
現在は昭和34年に再建されたものであるが櫓等は現存しており重要文化財に指定されている。