クリックすると詳細が見られます足助城
豊田市足助町須沢
築城/廃城年  ?年/1590年?
築城者  山田(足助)重長
平安時代末期、標高301m(現在)の真弓山に尾張山田荘から移り住んだ山田重長によって築城されたとされる。山田氏は足助氏と名乗りこの地を支配した。鎌倉時代末期、七代重範は後醍醐天皇の挙兵に応じ、弓の名人として活躍したが、この挙兵は失敗し重範も斬首された。
以後足助氏はこの地を離れた。その後この地で勢力を拡大した鈴木氏は真弓山に残る足助氏の城跡を整備し居城とした。現在残る遺構はこの鈴木氏の時代のものである。
この地方は交通の要衝でもあるため、松平、今川、武田氏に次々と攻め寄せられ、鈴木氏もその度に従属離反を繰り返した。徳川家の支配下であった1571年、上洛を目指す武田信玄に攻められ、三代重直は城を捨てて逃亡、城は武田方に移ったが、信玄が没すると家康の長子信康によって城は取り返され、再び鈴木氏が入った。
1590年、家康の関東移封に伴い、五代康重もこの地を去り廃城となった。
足助町の町制80周年時に、山城としては初の発掘調査に基づいた城として整備されており、派手な天守や石垣はないが、史実に基づいた整備は好感がもてる。