クリックすると詳細が見られます清洲城
西春日井郡清洲町朝日字城屋敷1-1
築城/廃城年 1405年/1613年
築城者 斯波義重
尾張守護職であった斯波義重が守護所下津城の別郭として築いた城。1476年に下津城が焼かれた後は交通の要所と言う事もあり尾張の中心地として栄えた。斯波氏は守護代をこの城に置き尾張を統治したが、一時期は信長の父、信秀も清洲奉行として入城している。その後守護代の織田信友が入っていたが、1555年信長に攻められ自刃、その後岐阜城に移るまでの10年間は信長の居城となった。
信長が岐阜に移った後は嫡男信忠が入城、その後織田信雄−豊臣秀次−福島正則−松平忠吉−徳川義直と城主は変わっていき、1610年名古屋城が概ね完成すると、名古屋に遷都され、「清洲越し」と呼ばれる大引越しが始まった。1613年名古屋城の完成と徳川義直の入城で清洲城は廃城となった。
桶狭間の戦いの時には信長はこの城から出撃している、また信長没後の織田家の相続を決める会議(清洲会議)もこの城で行われるなど、戦国の歴史の中で何度も名を連ねている城である。


現在縄張り跡を分断するように東海道本線と東海道新幹線が走っており、現在の復興天守閣から東海道本線をくぐった古城公園が本来の本丸であったらしい。信長時代には堀は一重しかなかったらしく、信雄城主時代に大規模な改修を行い堀は三重となった。