岩崎城 | |||
日進市岩崎町 | |||
築城/廃城年 | 1538年/1600?年 | ||
築城者 | 丹羽氏清 | ||
1538年丹羽氏清が築城したのは間違いないようだが、それ以前の織田信秀による築城説もある。 現在は市の整備によって模擬天守閣が建てられているが実際は砦の域を超えるものではなかったらしい。 この城が名を馳せるのは1584年の小牧・長久手の合戦時のことで、当時の城主丹羽氏次は徳川家康に属し、小牧の陣に滞在していた。そしてその留守城は氏次の弟氏重が守っていた。 池田恒興が献策したという岡崎攻撃案が許可され、小牧から岡崎に向けこの城付近を進軍していた恒興軍に対し、氏重は攻撃を仕掛け戦闘状態になった。多勢に無勢で、氏重をはじめ城兵約300人は全員玉砕して果てたという。 しかしこの戦闘は結果的に恒興軍に足止めをくらわせた結果となり、家康軍の追撃を許し、恒興の戦死をはじめ秀吉軍の大敗北につながる事となる。 歴史の分岐点になった城のひとつである。 |