クリックすると詳細が見られます小牧山城
小牧市小牧町
築城/廃城年 1563年/1567年
築城者 織田信長
濃尾平野北部にぽつんと存在する標高85mの山城。尾張を統一した織田信長が1563年美濃攻略の為に築き、清洲からこの城に移った。
城の南を大手、北を搦手として、山全体を5段の塁壕で防御した。
1567年信長は美濃稲葉山城を落城させると岐阜城と改名、新たに居城としたため、この城は廃城となった。


信長の死後、秀吉と信長次男信雄が対立すると、信雄と連合した徳川家康が廃城となってはいたが地理的に優れているこの城に目をつけ、いち早く接収した。家康は土塁や堀等を築いて改修を行い、秀吉と対峙したが、長久手の戦の後に秀吉と信雄が講和したため役割を失った。その後尾張徳川家の管理下におかれ、明治まで入山禁止の山となっていたが昭和に入り徳川家から小牧市に委譲された。昭和43年に鉄筋コンクリート製の模擬天守が築かれている。
曲輪や土塁、堀、掘切等、山城の縄張が非常によく残っている。