鳴海城
名古屋市緑区鳴海町字城
築城/廃城年  1394年/?年
築城者  安原宗範
室町時代に安原宗範によって築かれた。宗範死後廃城となっていた城跡を改修して織田信秀家臣山口義継が入る。信秀死後義継は信長率いる織田家を見限り今川家に寝返る。1552年にはこの城に兵を進めた信長と数刻に渡る戦いとなったが城を奪い返すには到らなかった。
しかしその後義継は信長の計略によって駿府に召還され切腹させられる。義継死後には岡部元信が入城し今川家の尾張進出の足がかりの城となる。信長もこの城に対し丹下・善照寺・中島等の砦を築いて対抗した。桶狭間の後、信長はここに佐久間信盛を入れる。1590年代に廃城となる。


桶狭間の合戦当時の鳴海城主、岡部元信は桶狭間で今川義元が戦死するも最後まで頑強に抵抗していたが義元の首と引き換えに開城、駿河へ戻る最中には「戦で手柄がないと」という事で織田方の刈谷城を攻め。城代水野信近を討ち取った。今川家滅亡後は武田家の傘下となり、高天神城落城の際に戦死する。


東西136m、南北62mの規模で標高62mの平山城。
現在は城跡公園となっている。平山城であった事を思わせる丘の上だが遺構は見つけられない。近くの天神社にも鳴海城碑がある。
公園の上から桶狭間方面を眺める。