阿久比城
知多郡阿久比町卯坂字栗ノ木谷
築城/廃城年  ?年/1577年
築城者  久松定益?
徳川家康の父、松平広忠は今川家の庇護下にあったが、妻の実家が織田家についたためこれを離縁した。この妻が於大の方で徳川家康の母親である。離縁された於大の方はこの後、久松俊勝に再嫁しこの城に15年間在城した。
1577年、俊勝の子信俊が信長の武将である佐久間信盛の讒言により切腹させられ、城もその際に攻撃を受け落城した。
小高い丘の上に立っているが、遺構は見つけられなかった。
非常に見つけにくい城であった。「阿久比城」の看板通りに行ってみると大邸宅があった。ここじゃないはずだと探しなおしてやっと見つけた。


現在図書館・公園となっている城跡。公園の遊具は錆付いて遊ぶ子供もいなかったが、図書館の方はたくさんの人がいた。