今川家に人質として送還途中の竹千代(後の徳川家康)を、当時の城主、戸田康光が奪い、織田家に千貫文で売り渡すという事件と、幕末の家老渡辺崋山で有名な城。
室町中期、この城を築いた戸田氏は一時、渥美半島全域と吉田城までその支配を広めたが、上記の竹千代事件で今川家の攻撃を受け、滅亡した。その後今川家の臣が入っていたが、桶狭間の合戦後、家康はこの城を攻略、本多広孝を入れた。
1590年、徳川家の関東移封に伴って広孝も関東へ去り、吉田城に入った池田輝政は家老伊木清兵衛に田原城を与え、城の拡充を行った。1600年、輝政は姫路へ移封、翌年戸田氏の子孫尊次が祖先の地に返り咲いた。戸田家は三代続き天草へ移り、以後三宅家が入り幕末まで十二代続いた。 |