クリックすると詳細が見られます大高城
名古屋市緑区大高町城山
築城/廃城年  150?年/156?年
築城者  花井備中守
東西106m、南北32mの規模で標高20mの小山の上に築かれた城。四方を二重の濠で防御していた
14世紀初頭に花井備中守によって築城されたが、1530年代には今川家臣、水野忠氏が入っていた。後に忠氏は今川家から織田家に鞍替えしたが、逆に織田家から今川家に鞍替えした山口義継により攻められ落城、鵜殿長助が入る。これに対し信長は鷲津丸根砦を築き大高城を孤立させる。
桶狭間の戦いの際には松平元康(後の徳川家康)が兵糧の運び入れに成功、この城から丸根砦攻略にあたっている。しかしその後の戦闘で義元は戦死、元康も三河に退却、その後は戦略的な価値も無くなり廃城となった。
1616年尾張藩家老の清水忠宗が一万石でこのあたりを領し、城跡に館を構えた。
長い間上京とのためとされた今川義元の西上であるが、現在では織田方の砦によって孤立した大高城・鳴海城の救済が目的だったというのが通説となっている。


現在でも堀や曲輪の跡が残っているが、期待しすぎるとガックリしてしまう。付近の砦や古戦場を交えながらの見学が無難。また、車を停める所がないので注意が必要。
この城を初めて訪れたのは平成4年頃で、場所が良く分からないまま見学したのだが、その際には石垣があったと自分の記録には残っている。他の城と勘違いしたとも思えるのだが…。


一応地元の人に石垣が残っていないか聞いてみたり、辺りの山にも登ってみたのだがそれらしいものは見つからない、勘違いなのかなぁ…。