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ナウル島戦争遺跡
(ナウル)
「てつ」さんからiいただいた「ナウル」の戦跡レポート。
知る人ぞ知る太平洋の島「ナウル」、国土は狭く、乏しい観光資源で訪れる観光客はほとんどいないが、それだけに残された戦跡は観光地化されず、往時の雰囲気が色濃く残っているようだ。 …ということで最近さぼり気味の自分としては大変ありがたい投稿レポート。
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遠江射場
(静岡県)
砲弾の性能試験を行っていた施設跡で、遺構の大半は倉庫や民家などに再利用されているものの静岡県内でもトップクラスの戦跡。
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深山第三(男良谷)砲台(和歌山県)
大阪湾を防御する目的で築かれた由良要塞を形成する砲台の一つ。加太地区の中で比較的保存状態がいい砲台跡である。陸軍の砲台跡の他、海軍の水雷施設も若干ながら残っている。 |
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呉周辺戦跡(広島県)
広島湾要塞として呉周辺に建造された戦跡をレポート。戦後何らかの整備を受けたものが多いので見学しやすいかと思ったが、整備後に放棄されたものもやはり多く、結局そこそこ難儀した。
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三菱地下工場跡(岐阜県)

米軍の空襲被害から逃れるためにつくられた三菱のエンジン工場跡。結局実稼働する前に終戦となってしまった施設。
「おヒマな中年二輪愛好会」のまつさん、EDさんとの合同散策。場所をしっかり聞いた上での散策だったので余裕をかましていたが、なかなか入口が見つからず苦戦した。 |
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三重海軍航空隊跡(三重県)

昭和17年三重県一志郡香良洲町に開設された予科練航空隊跡。最盛期には約1万5千人が在隊し、終戦までにのべ6万5千人が戦地に飛び立っていった。
資料館に移築された正門や隊の資料、遺品などが展示されている。また北側の兵舎だった区域にはコンクリートの基礎が数多く残っている。ただし平成に入って整地化が少しづつ進んでおり、数年すると完全に滅失する可能性が高い。 |
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豊予要塞跡(愛媛県)
「隧道探訪」のマフ巻さんの案内で豊予水道の愛媛県側を散策。砲台あり、観測所あり、司令部ありの盛りだくさんの遺構。
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依佐美送信所跡(愛知県)
国として海外との通信施設を持たなかった大正期に対欧無線施設として建造された送信所跡。戦時中は海軍施設として用いられた。戦後は潜水艦への命令伝達を主な目的として米軍に接収された。日本返還後に鉄塔や施設は解体されたが当時の装置が公園として整備された現在も展示されている。 |
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由良要塞 生石山砲台跡(兵庫県)
加太、友ヶ島と共に紀淡海峡の防衛を目的として明治期に建造された由良要塞の一角。建造後、実際に使用されることがないまま明治・大正・昭和を経て終戦後は米軍により破壊された。現在整備がすすめられ公園化しつつあるが、大半は未整備の状態のまま。 |
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豊予要塞 丹賀砲台園地(大分県)
豊予水道の要所としておかれた豊予要塞の一角を占める砲台跡。備砲として巡洋戦艦伊吹の主砲(30cm)が用いられたが、訓練中に砲腔爆発を起こして多くの死傷者を出した。結局戦況に何の影響も与えることなく終戦を迎え、土に埋もれていたが、平成に入って整備された。 |
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長浜大橋(愛媛県)
肱川にかかる国内現役最古の可動橋。登録有形文化財にも指定されているため歴史的な建造物という面が注目されがちであるが、橋のあちこちには戦時中の米軍機による機銃掃射跡が残っており、戦争遺跡としての側面も持っている。 |
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桜島海軍基地跡(鹿児島県)
桜島自然恐竜公園の帰り、偶然見つけた基地跡。説明板もしっかりしており、モニュメントらしきものもあるが、肝心の壕内には入れない。
「画竜点睛を欠く」とは正にこのこと。 |
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豊川海軍工廠跡(愛知県)
東洋一と言われた機銃・弾薬生産工場跡。昭和20年8月7日の空襲では約2700人が亡くなった。現在は工廠の一部が名古屋大学の研究所敷地となっているが、敷地内には数多くの遺構が荒れるにまかせて残されている。今回は豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会の見学会に参加しての見学。2009・2010年に再訪して写真追加。 |
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不発弾(愛知県)

偶然見かけることができた不発弾。調べると旧海軍の三式迫撃砲の砲弾らしい。別に何するでもなくひたすら写真を撮り続けた。 |
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陸軍清洲飛行場跡(愛知県)

明治から昭和初期にかけて築かれた大砲の射撃データを収集するための施設。戦後は払い下げられたが、周辺には関連する施設の遺構を多く残している。 |
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陸軍伊良湖試験場跡(愛知県)

明治から昭和初期にかけて築かれた大砲の射撃データを収集するための施設。戦後は払い下げられたが、周辺には関連する施設の遺構を多く残している。 |
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(通称)細谷トーチカ跡(静岡県)

「戦捜録」の望月さんの助力を得て散策。
規模は大きくないが、それほど人の手が入っていないトーチカで雰囲気は抜群。
ただし非常に到達しにくい。 |
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美保関海軍望楼跡?(島根県)

18切符一人旅での探索。ほとんど人が入っていない望楼跡があるのを知って挑んだ探索レポート。 |
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関ヶ原陸軍火薬庫跡(岐阜県)

大正期から太平洋戦争終了まで陸軍の火薬庫が置かれていた。大半の建造物は破却されたが、火薬庫や立哨台などの保存状態は良好。 |
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原爆ドーム/広島平和記念資料館
(広島県)

国内外問わずたくさんの観光客が訪れる原爆ドーム&資料館。公式HPがとても詳細なので気遅れしてお蔵入りとなっていたレポート。 |
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城山八幡宮被爆鳥居(愛知県)

かつては織田家の城であった八幡宮の鳥居に残る爆撃跡。境内には破壊著しい標柱や防空壕も残っている。別テーマではあるが、城の縄張もよく残されている。 |
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明治海軍航空隊跡(愛知県)

安城市に残る航空隊基地跡。ここで養成された数多くの隊員が終戦前に特攻で散っていった。燃料油庫や格納庫などの他、地形に往時の様子を見ることができる。 |
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蓋井島(山口県)

下関の沖に浮かぶ島。明治期に下関要塞として建造された。他の明治期要塞の廃止が続く中、手を加えられて太平洋戦争中も存続した。
訪問はなかなか手こずるが、遺構の保存状態は良好。 |
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岡崎海軍航空隊跡(愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」主催の「豊田の戦争遺跡」見学会参加。
戦時中突貫工事で建造された基地は、戦後何かに追われるように開拓されていった。 |
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名古屋海軍航空隊跡(愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」主催の「豊田の戦争遺跡」見学会参加。練習航空隊として発足し、終戦前には特攻隊員の養成を行った。コンクリート製の戦闘指揮所などが残る。 |
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花瀬望比公園(鹿児島県)

開聞岳西側の花瀬海岸に建てられた戦没者慰霊碑を中心とした公園。戦没者の御霊の安泰と世界平和を祈念している。 白梅さん筆 |
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大久野島(広島県)

「毒ガス島」「地図から消された島」として名高い。現在は国民休暇村として整備されているが、なお島内には多くの遺構が残っている。
明治期の芸予要塞時代の遺構も。 |
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河和海軍航空隊跡(愛知県)

戦時中、水上機の整備・操縦訓練教育の目的で愛知県知多半島に置かれた基地。
建物はほとんどなくなってしまったが、スリップをはじめ、多くの遺構が残されている。 |
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萬世特攻平和祈念館(鹿児島県)

わずか4か月の間に200名以上の特攻隊が出撃した鹿児島県「陸軍萬世飛行場」。平成4年に引き上げられた零式水上偵察機等が展示されている。
白梅さん筆 |
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三菱重工資料室(再訪)

復元された零戦52型と終戦直前に開発されたジェット戦闘機秋水が展示されている。その他零戦の開発者である堀越二郎氏に関する資料や、三菱重工で開発された飛行機等の資料を展示。ちょっとマイナーチックな雰囲気を醸し出しているが戦闘機マニアは行って損はない。
【再訪による、写真全入れ替え版】 |
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芸予要塞 小島砲台跡(愛媛県)

明治期、対ロシア戦に備えて建造された瀬戸内海の要塞跡。実戦に使用されることがないまま大正期に廃止されたが、現在も質量ともに良好な状態で残されている。 |
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愛知平和記念館(愛知県)

愛知県護国神社横の桜華会館に設立されている記念館で、遺族会から寄付されたものや、サイパン・レイテ島の遺骨収集時に発掘された遺物が展示されている。必要以上に過大な説明がされているわけでもなく、客観的事実が簡単に説明されてあるだけだったが、それだけに妙に生々しく感じられた。 |
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紫電改資料館(愛媛県)

旧海軍局地戦闘機「紫電改」が国内で唯一現存している。昭和53年久良湾で発見された紫電改を翌年引き上げ、防錆と最低限の補修のみが行われ展示されている。
主要都市から結構距離があるのでドライブしがてら訪問するとよいかもしれない。 |
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篠島(愛知県)

相互リンクをお願いした「遺構探訪」後藤さんからのお誘いにより10cm加農砲陣地を探索に篠島へ。後藤さん、本土決戦遺構玄人ネーモンさん、筆皇、自分の異色コラボ。果たして陣地跡は発見できるか。 |
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友ヶ島(和歌山県)

紀伊水道防御のため、明治期に要塞化された島。当時一般人の立入は禁止されていた。終戦後米軍により破壊されたが、砲台跡など多数の戦跡を残す無人島。 |
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父島(東京都)

現在も手付かずの戦争遺跡が数多く残る小笠原諸島父島レポート。
筆皇筆、はっとし加筆。 |
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松代大本営跡(象山地下壕)(長野県)

昭和19年、本土決戦に備え、国の中枢部を移すために掘られた地下壕跡。結局終戦までに完成することはなかったが、現在でも合計10キロ以上の地下壕が残っている。 |
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豊橋海軍航空隊基地跡(愛知県)

戦中に建造された滑走路4本を持つ八角形の空港島跡。現在は埋め立てられ往時の遺構を残すものは少ない。 |
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比島観音/殉国七士廟(愛知県)

紫陽花で有名な三ヶ根山スカイライン中腹にはフィリピン戦線における戦没者を祀った多くの碑が建立されている。また、近くには東京裁判で絞首刑となった七名の遺骨が納められている。 |
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サイパン沈船ダイビングスポット
(松安丸残骸)

サイパンの有名ダイビングスポット「沈船」、B29ポイントより透明度が低い上、船体の保存状態が悪い。また、魚が多く見られるためダイバーの数が多いのも少々難点。コメントはほとんどなく写真ばかり。 |
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サイパンB29ダイビングスポット
(川西二式飛行艇残骸)

サイパンの有名ダイビングスポット「B29」、海底に眠る大きなプロペラなどからそう名づけられたようだが、実際に沈んでいるのは川西 二式飛行艇という旧日本海軍の飛行艇。コメントはほとんどなく写真ばかり。 |
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二川二川24糎榴弾砲陣地跡
(独立重砲兵第37大隊第5中隊陣地)
(愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が主催した「軍都豊橋 春の戦跡見学会」に参加。駐車場建築で、一部破壊されている部分もあり、二川陣地壕群と比較すると若干物足りない。 |
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二川陣地壕群(第73師団陣地跡) (愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が主催した「軍都豊橋 春の戦跡見学会」に参加。東海自然歩道から少し外れた所にいくつもの陣地壕を見ることができる。 |
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二川トーチカ跡(2回目)(愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が主催した「軍都豊橋 春の戦跡見学会」に参加。今回は中に入ることはできなかったが、色々な説明を受けることができた。 |
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第15師団指令部跡(愛知県)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が主催した「軍都豊橋 春の戦跡見学会」に参加。大学構内に明治・昭和初期に築かれた司令部や将校集会所などが残されている。 |
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三菱重工知多飛行場跡
(大府滑走路跡) (愛知県)

開戦直前、三菱の新型爆撃機製作の為に建造された大府製作所。工場用の滑走路が現在も道路としてその面影を残している。 |
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東海市高射砲陣地跡(愛知県)

名古屋市南部、東海市山中に残る高射砲跡。高射砲の遺構もさることながら、山頂を縦横にはしる通路跡、便所(?)跡、井戸跡等、見応えが結構ある。 |
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半田赤レンガ 機銃掃射跡(愛知県)

昭和20年7月15日、十数機のP51による超低空攻撃は8名の死者を出した。当時中島飛行機の衣糧倉庫であった赤レンガも執拗な攻撃を加えられた。その弾痕は現在も残されている。 |
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熱田神宮 被爆鳥居(愛知県)

昭和20年6月9日死者2000名以上を出した「熱田大空襲」の傷跡が熱田神宮の鳥居に残る。 |
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熱田区被爆堤防跡(愛知県)

軍需工場であった愛知時計電機は熱田大空襲の目標ともなった。堀川河畔にこの時の傷跡を残す堤防が残されている。 |
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笠寺高射砲跡(愛知県)

旧石器時代の遺跡が展示されている名古屋市南区の見晴台公園。戦時中空襲の多かった名古屋南部に位置する事もあり、笠寺陣地として高射砲等が設置されており、今もその台座がひっそりと残っている。 |
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永徳スリップ跡(愛知県)

名古屋市港区に残る旧愛知航空機のスリップ跡。工場で作られたフロート付航空機を海面に移すスロープ状のコンクリート建造物が残っている。 |
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大阪城近辺の戦争遺跡(大阪府)

大阪のシンボルの一つとして名高い大阪城。わずかながら旧陸軍第四師団司令部や砲兵工廠の遺構が残っている。また攻撃の痕跡を残す石垣や模擬原爆の投下跡地など戦争の痛手を今に伝えている。 |
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高倉堡塁跡(福岡県)

明治期に建造された堡塁跡で、前回訪問に失敗した戦争遺跡。山道を2キロ以上歩いた先にやっと見ることができた大規模な堡塁跡。 |
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手向山砲台跡(福岡県)

明治期に建造された砲台跡で現在は手向山公園として整備されている。海峡を渡る敵船を見張る観測所、探照灯台座、砲座、倉庫と数多くの遺構を残す。 |
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古城砲台跡(福岡県)

関門橋近くの和布刈公園内にある戦争遺跡。中世には門司城が築かれていた。公園としての整備がすすみ、あまり雰囲気が残っていない。 |
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軍艦防波堤(福岡県)

大正時代に竣工した駆逐艦が戦後防波堤として流用された。数度の崩壊にも関わらず修復しなおす姿勢は見事。 |
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B29墜落地跡(愛知県)

東海地方の紅葉のメッカ、香嵐渓南方に残るB29墜落跡地。説明板等が残っているが地形的にその跡は残っていない。 |
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二川トーチカ跡(愛知県)

愛知県東三河地方の住宅街に残るトーチカ跡。中はなにやら荷物置き場になっていた。住宅街にあるので不法侵入も多いらしく、近所の人達もピリピリしていた。 |
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小島トーチカ跡(愛知県)

山中に築かれたトーチカで、今では入口も半分以上埋まってしまっている。落書きや不法投棄もない、保存状態が非常に良い遺構。ただなんとなくの住所と2枚の遺構近くの写真があるだけで、探しあてるのには難儀した。見つけられたのは運が良かった。 |
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日出観的所跡(愛知県)

椰子の実の碑の近くで結構有名。
岬の断崖近くに建てられており、油断すると大怪我をすることになる。草が生い茂って足元が見えない為、自分達も足を踏み外しかけた。死ぬほどでは無いかもしれないが、骨折くらいはしそうな所でもあり、注意が必要。 |
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伊良湖試験所跡(愛知県)

民家の近くに残る六階建てのビル跡。落書きが非常に多いのが残念。落書きはどこに書いても良いものではないが、せめてこのような遺構くらいはタブーとして避けて欲しかった。 |
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瀬戸地下軍需工場跡(愛知県)

愛知航空機株式会社の水野地下工場跡。現在「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が保存、整備を行っており、山中の戦争遺跡には珍しく、非常に見学しやすくなっている。地下工場出入口数箇所と水槽跡が主な遺構であるが、出入口についてはふかいもので10mほどしかない。 |
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戦艦大和46cm主砲弾(愛知県)
名古屋の官庁街にある「愛知護国神社」に碑として置かれてある。国内に三つしかない大和主砲弾の一つ。境内にはこの他、戦闘機のプロペラ、錨等を見ることができる。 |
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