豊予要塞 第一砲台その1
(伊方町  2010/3)

豊予要塞 第一砲台は佐田岬灯台とその駐車場を結ぶ散策路脇の藪の中に残されている。ただし他の砲台や施設と比較して保存状態はよろしくない。現状確認できたのは建造物のコンクリート基礎や弾薬庫、揚弾井、クレーン基礎、その他細々したものと別ページでレポートする観測所くらいである。砲座なども一部残っているらしいが見つけられなかった。

大正15年11月、佐田岬に最初に造られた砲台で、資料によると対馬要塞から移された12cm連射加農砲4門が置かれていたとある。マフ巻さんによると昭和19年に撤去されてしまったらしく、この砲台の保存状態が良くないのは観光整備された以外にそのあたりも原因なのだろう。



灯台駐車場近くに残る「弾磨き鍛造所」。
三連休中ということで、駐車場は8割方埋まっていた。車から降り立ったカップルや家族は高台にある駐車場からの景色を十分堪能すると次々に灯台へと歩いて行く。
彼らが自分らツナギのおっさん二人を怪しんで横目でチラチラ見ていくのは理解できるが、せっかくの廃屋に誰も目もくらないのが不思議でしょうがない。

マフ巻さんによると、少し前まで陸軍の標柱が残っていたらしいのだが、現在では埋まったのか引き抜かれたのか、とにかくもう残っていないようだ。

基礎は煉瓦をコンクリートで覆ったもの。
木造の建屋と比較して頑丈な造りとなっている。

正面からだとまだまだ現役に見えるが、裏に回ると、ザ・崩壊。

駐車場に車を停めて灯台への散策路をブラブラ歩く。
この道はもともと砲座への連絡路だったものを観光用に再整備したものらしい。
この辺り詳しい紹介はマフ巻さんのHPにて。

盗難edのなれの果てバイク×2台。
元の持ち主に買われた時は笑顔で迎え入れられたであろう過去を想像するとおセンチな気分になる。

歩道の右手は崖とまでは言わないが、普通じゃちょっと降りる気にならない斜面。
いきなりマフ巻さんが歩道からそれ、「ここにタコ壷がありますよ。」と教えてくれた。
何はともあれ自分らも降りてみると、そこには立派な壕が残っていた。

しかしこんな所にあるものをよく見つけたもんだと感心、自分らにはどうしてこうした知識と感性が無いのか原因を考えてみたが、壕に入った途端に頭から消えていた。
そう、原因はそこにある。


入口は少し埋まり気味だが、縦横共に十分な幅と高さがある。目が慣れない内は結構先まで続いているかと思ったが、残念ながら数mのところで行き止まり。

最深部。
壁を削った破片が地面に溜まっていた。マフ巻さんによると掘削用工具も落ちていたらしいので、もっと奥まで掘る予定だったのかもしれない。

これまで壕やトーチカ跡と言えばレギュラーはカマドウマだったが、ここでゲジゲジ初登場。地域による棲み分けでもあるのだろうか。

再び歩道に戻ったと思ったら、マフ巻さん今度は左の藪の中へ。どうやらこちらが第一砲台跡らしい。ただ3月ながら、藪が深いのでなかなか遺構が見つからない。右往左往してるとそれらしい地形が見えてきた。

長さ3m×幅1m弱の凹。内側には水が溜まっている。何に使用していたのかは不明。

だいぶ埋れてしまっているが、50cm四方くらいの穴。こちらも用途不明、落とし穴ではないと思うが。

コンクリート製の円柱。上面にはボルトが出ている。
機銃の台座だろうか。

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