豊予要塞 佐田岬砲台その他その1
(伊方町  2010/3)

他の砲台と異なり、昭和20年に建造された砲台。
崖に口を開いた砲座は写真で見てもなかなかの迫力。今回の佐田岬散策で一番楽しみにしていた所である。
写真で見る限り、結構危険な感じであるが、逆にそれだけ人の目に触れられていない状態だろうし、勇気を持ってあたれば何とかなる…と思っていた。
少なくとも現地につくまでは。


第一砲台から灯台方面(半島先端方向)に歩いて行くと足下にバンガロー村が見えてくる。
観光で灯台にやってきた多くの人も目にする光景で、この日も多くの観光客の姿があった。

帰りの上り坂を考えると若干辟易するが、スロープ状になった通路を下っていくと、雑草の中に水道施設跡らしき遺構が顔を出していた。

何となく物哀しげなバンガロー村。
もしかしたらバンガロー村跡なのかもしれない。
マフ巻さんによると発電所施設跡とのこと。

スロープを降り切った所に県道の起点マークが埋まっていた。

階段の国道や酷道ほどのインパクトはないが、まぁあまり見ないものなので撮影。


こちらは間違いなく営業してないであろう「ストアーはまゆう」跡。
ご覧の通り、砲台の付帯施設跡を再利用したもので、もとは司令部、病舎、官舎だったとのこと。どれがどの施設か聞いたのだが記録してなかったので忘れてしまった。この苦い経験から半年後にボイスレコーダーを買った。

真ん中と左のドアは厳重に施錠されており、中を窺うことはできない。
とりあえず半解放の右側施設内を撮影するも、荷物置場というかガラクタ置場で特別興味を引くものはなかった。

バンガローの間にポツンと残る井戸跡。
まだ水をたたえているか確認しようと思ったが、蓋が異様に重くて断念。

同じくバンガロー村に残る遺構。
マフ巻さんによると、水道施設か燃料タンクではないかとのこと。スロープの途中にあった遺構から考えると水道施設っぽい感じ。

バンガロー村の散策は終了、降りてきたスロープからバンガロー村と反対の海岸側に出てみる。
ここまでは観光客の姿もチラホラ見られた。

往時はコンクリート製のしっかりした通路があったのだが、戦後にイギリス軍によって破壊されている。海岸には破壊されたコンクリート片があちこち散らばっていた。


と、思ってたら、コンクリート片どころか立派な階段と橋(?)が残っていた。
しかし潮風直撃の60年以上前の橋、まぁよく今まで崩れずに残っていたものだと、パシャパシャ写真を撮ってみる。


とりあえず橋の下には鉄筋が張られているが、どうみてもワビサビならぬサビサビ。いつ崩れてくるかもしれないのであまり近づかないように撮影。
さぁ、次のポイントに向かいましょうか。

…とか言ってたら、筆皇渡ってる!
…サビサビの60年以上前のコンクリ橋を渡ってる…!

そりゃ、先へ進むためにはこの橋を渡らなければいけないのは分かる。
でも、なぜに橋の上でT3ポーズをとる必要があるのかは全く分からない。

とりあえず安全そうなコンクリ階段の最上段までは登った。でもどう考えてもこの先を歩いていける自信はない。

心を震わす好奇心も足を震わす恐怖心の前には無力なのだ。

そんな自分を憐れんだのか、筆皇が手を差し伸べてくれる。
しかし残念ながら自分の片手は1mもない、そんな所から手を差し伸べてもらっても嬉しくもなんともない。

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