丹賀砲台園地 その1
(佐伯市  2010/3)

1919年(大正8)「要塞整備要領」が決定され、司令部を佐賀関に置く豊予要塞の新設が予定され、1921年(大正10)7月には佐田岬砲台建設に着手、その後ワシントン会議の結果、太平洋防備制限により「要塞再整備要領」が決定されたが、豊予要塞は影響が少なく引き続き工事が実施され、1926年(大正15)8月完了した。
現在丹賀砲台園地(ミュージアムパーク丹賀)として整備されている丹賀砲台はこの豊予要塞の一角として1931年(昭和6)に竣工した。砲塔としてワシントン(軍縮)条約により解体された巡洋戦艦伊吹の主砲(30cm)が用いられている。
1941年(昭和16)12月、太平洋戦争が勃発すると豊予要塞にも戦時編成が発令され、これに基づいて翌1942年(昭和17)1月に重砲兵連隊が丹賀砲台の砲塔にて実射訓練を行ったところ、砲腔爆発し連隊長をはじめとする16名が死亡、その他多くの重軽傷者を負う惨事となった。砲塔のこの爆発によって使用不能となり、同年3月には代替として12cm榴弾砲4門、20mm機関砲が起工され、同年9月竣工した。
結局この砲台は一発の撃つことなく、要塞自体戦況にほとんど関与することなく終戦となった。戦後連合軍によって接取された後破壊された。その後長い期間土に埋もれていたようだが、1989年(平成元)鶴見町(現佐伯市)が観光振興計画の一環として整備を開始、1991年(平成3)2月に丹賀砲台園地として開園した。
(現地説明パネル・リーフレット等引用)

半島の先、鶴見崎砲台跡も「ミュージアムパーク鶴御崎」として整備されているが、事前調べが甘かったため訪問することができなかったのが残念。


砲台跡に繋がる斜坑口(右)と弾薬庫(左)。
弾薬庫は現在砲塔跡に繋がっておらず、独立した形となっている。


斜坑口。迷彩やウロコ状の外壁はオリジナル。

ウロウロしていれば係のおばちゃんが来てくれるので入場料(200円)を払って中へ。筆皇が大便に行ったのでその間、係のおばちゃんと雑談。
この場所は現在大分県佐伯市になっているが、平成の大合併までは南海部郡鶴見町であった。鶴見町の時はカラーだったリーフレットも佐伯市になってからはモノクロ。「市町村合併なんて、合併される市町村にとってはプラスどころかマイナスだらけ」、手にしたペラペラのモノクロリーフレットはおばちゃんの愚痴に現実味を帯びさせるのに充分なアイテムだった。

リーフレット記載の公園地図。
見学していくと、所々「?」な箇所がないこともないが、全国に残る砲台跡の大半が野ざらし、もしくはそれに毛が生えた程度の整備しかされていない中で、戦跡を負の遺産と考えず後世に残していく整備が行われていることは非常に意義があると思う。

斜坑を登ったメイン施設「砲塔」付近の構内図。当然ながら機材等は全く残されていない。

斜坑口から砲塔へはプロジェクトXチックなケーブルカーで上がる。
階段で上がることもできるが急勾配の上、結構距離もあるので無理せずケーブルカーに乗るのが無難。…というかこんなかっこいいケーブルカー乗らずにいられますか。

横には社会見学などで訪れた小学生による折鶴。おばちゃんによるとこの日の翌日、100人くらいの団体さんが来るとのこと。
若者よ、君らは健康のために階段を使いたまえ。

ケーブルカーの線路部分は往時弾薬庫に保管されていた弾薬を砲塔に運ぶためのベルトコンベアがあった。公園として整備される際には砲塔部を埋めた土を運び出すのに使用され、現在は見学客用のケーブルカーとなっている。

あまりに玄人チックなビジュアルなので土運搬に利用した機材の流用かと思ったが、見学客移動用に設置されたバリバリの平成マシンらしい。まぁこれでエレベーターや最新ケーブルカーだったらそれはそれで違和感ありすぎるが。

ケーブルカーはマニュアル。主電源をおばちゃんが入れてくれた後、自分でボタンを押す。
とりあえずボタンを押すとき「ポチッとな」と言わずにおれない気持ちがあなたに分かるだろうか。

ケーブルカーは一般的な階段歩行速度程度で少々じれったく感じるが、実際この急角度かつ長い階段をこの速度で登りきることは(自分の脚に限って言えば)不可能なので文句は言えない。

壁の塗装は当時のオリジナル。

途中で一旦坑道の角度が緩くなるので斜坑口からリフト出口を見ることはできない。これも防衛上の配慮だと思われるが如何に。

壁は整備時に塗り直されている。暗い斜坑から出ると白さが眩しかった。

水槽へ続く東向きの長い廊下。
壁にはたくさんの説明板が掛けられているのは問題ないのだが、足元の照明がちょっといただけない感じがする。天井には電燈の跡らしきものも残っているし、それを使った方が当時の感じがしていいと思うのだが。


豊予要塞の概要説明板。概要というには詳細ではあるが。
写真は翌日訪れた佐田岬砲台の御籠島砲台。


大分県、愛媛県にわたって設置された豊予要塞の砲台リスト。
この公園が設置されたのが「丹賀砲塔砲台」、翌日見学したのが写真上部左側の「佐田岬砲台」。

この図を見る限り豊後水道を完全に封鎖しているように見えるがご想像の通り、ほとんど役に立つことは無かった。


豊予要塞関連年表。
開戦から約一ヶ月後の昭和17年1月にこの丹賀砲台が試射時に砲腔が爆発し、16名が即死。


鶴御崎の砲台についての概要説明板。


昭和17年1月の丹賀砲台砲腔爆発事故についての説明板。
事故によって砲は使用不能となり、12cm榴弾砲4門、20mm機関砲2門に変更されている。また砲の射程距離短縮を補うため鶴御崎第一、二砲台が急遽起工され、突貫工事を経て昭和17年9月に竣工している。

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