丹賀砲台園地 その5

弾薬庫を越えると通路はまた右カーブを描いて出口に繋がる。

弾薬庫出入口。
ウロコ状の外壁は空から飛行機で見たときに、光の反射で山肌に見えるようにと施されたものらしい。

昭和17年の腔発事故犠牲者の忠魂碑。
門の飾りには砲弾が使われている。

裏には犠牲者の氏名が刻まれている。
犠牲者は連隊長をはじめとして16名、このほか負傷者も30名ほど出た。結局この事故によって30cmカノン砲は使用不能となり、12cm榴弾砲に置き換えられた。まぁ結局使われることも無かったのだが。

弾薬庫跡横に展示されている巨大なプロペラ。

説明板をみるとサイパンの海で沈んだ機体を見た二式大艇だった。このプロペラは漁船の網にかかったものが寄贈されたもの。

当初、この前日の鹿児島訪問時に鹿屋で展示されている二式大艇を見学するスケを組んでいたのだが、時間の関係でカットせざるをえなかった。
かなり残念だったのだが、ここでプロペラなりとも見ることができたのは何となく嬉しいものだ。

太平洋戦争で無くなった旧町内の人々の名が刻まれた平和の塔。

公園部分の写真。
奥に斜坑入口、左手に弾薬庫の出入口が見える。

公園の案内図。
砲台跡を整備した公園なのだからリーフレットに記載されている地図を掲載したほうが良い。これじゃ何が何だか分からない。

開園から約20年、太陽の紫外線は説明板の文字を薄れさせる。
誕生して約40年、太陽の紫外線は自分の背中や肩にシミを形成させる。

まぁシミは紫外線だけでなく、老化が直接の原因なのだが。

やはり迷彩&ウロコ外壁が残る燃料庫跡。
こちらは現役で使用されているご様子。

お笑いマンガ道場で有名な富永一郎がこの地方で育っており、近くのトンネルに氏の絵が描かれていた。
「富永一朗海のまんが館」という資料館というか記念館もあるらしいが残念ながら行けず。

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