丹賀砲台園地 その2

誤爆した砲塔はこの伊吹のもの。
明治42年就役、大正12年軍縮により退役。


15センチカノン砲の説明パネル。国内の要塞の砲台で戦果をあげたというのを聞いたことがない。だいたいが1発も撃つことなく終わったというものばかり。


観測所の説明パネル。
説明板ということでまとめて掲載しているが、後から読んだ説明パネルだったので再度外に出てパノラマ展望台とやらを探しに行った。


主動力室跡。
廊下は白く塗り直されているがこの部屋の塗装は斜坑と同じく当時のオリジナルだった。床も機材などは取り払われているが往時のまま。
市に問い合わせたところ、正式な資料は残っていないが歴史的価値が高いと思われる砲塔井や主動力室などはオリジナルのまま残し、それ以外の部屋は少ない灯りで明るく見せるために白く塗装したとのことである。
電灯を用いずに少しでも明るく見せるためというのは分からないでもないが、オリジナルと白い部屋が混在して少々ちぐはぐな感じがするのは否めない。せっかく複数の部屋を公開しているのだがら「トータルで見せる」ということにこだわってもよかったのでは。

上の写真奥の出入口から撮影した主動力室跡。同じ部屋を撮影したのだがこちらは明るく写った。明るさだけでずいぶんイメージが違って見える。

脱脂庫。
説明パネルも無く、壁も白く塗られているので「脱脂庫」跡と書かれても「あぁ、そうか」と思うだけだった。

こちらは壁が塗られて説明パネルが掛けられている副動力室。

水圧蓄力機室。
部屋の奥に上下筒状に通じる穴がある。メカオンチの自分にはどういう働きをするものか全く分からない。

穴を覗いて見下ろす。
もともとこの深さなのか埋まってこの深さなのか分からない。

穴を見上げる。
岩チックな天井が見えるが…

部屋の片隅には発電機を載せてたいたと思われる台が残る。

左手前が主動力室、左手奥が水圧蓄力機室、奥が廻廊及び砲塔井。通路中央の排水溝は当時からのもの。

②の「砲側弾火薬庫(廻廊)」部分。
文字通り砲塔井をぐるりと囲う廻廊になっている。

廻廊の中心が砲塔井跡。
現在は見学用の螺旋階段が設けられている。何となく錆びてるしなぁと芋を引く自分をよそにスタスタと筆皇は階段を登って行った。

リーフレットの砲塔復元図(推定)。
これを見る限り螺旋階段の高さは10m以上ありそうだ。

螺旋階段の基礎部分を撮影…ということで何となく螺旋階段へのためらいを自己弁護する38歳の春。

この地下部分に動力室などもあったらしいが、整備されておらず多分埋まったまま。

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