手向山砲台跡 その1
(北九州市門司区 2005/1)

戦捜録さんを参考に福岡帰省時の戦争遺跡めぐり第三弾。
明治期に建造された砲台跡で現在は手向山公園として整備されている。国道3号線からはいってすぐの公園で散策しやすかった。

関連HP:
戦捜録(http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/index.html)

バス用の駐車場と書いてあったが、乗用車ばかりとまっていた。どうやら目の前の団地の人達が駐車場がわりにとめているらしい。夕方でバスもいなかったので自分も便乗。


駐車場前に残されていたレンガづくりの建造物。特に説明板もなく、フェンスで囲ってあるだけ。

フェンスで中に入ることができないので、外側のあちこちから撮影。写真は井戸跡、看板らしきものには「生水はのまない様に」とある。現在はフェンスで飲みたくても飲めない。

建物内部。
奥に煙突が見える。

横の丘から撮影。正面からだと結構しっかり残っているように見えるが、実際は屋根が抜けてしまっている。手前側には別の棟があったようにも見える。

建物奥の煙突。戦捜録さんによると陸軍の火葬場跡らしい。

背後から撮影。見事に屋根が抜けている。

反対側の丘から撮影した、横部分。こちらは後づけのプレハブが残る。戦後、倉庫か何かに使っていたのかもしれない。

少し奥に入ったところに残る遺構。説明板はなく、高射砲跡かと思っていたが、観測所跡らしい。山の上部にある砲台からは海は望めないので、ここで方角や距離を計測して伝えていたようだ。

 
上に上がる階段脇にはブロックで固められた入口と窓らしき跡が残る。今、この中がどうなっているかと考えると、いてもたってもいられなくなるのが廃墟スピリッツだ。

階段を登ったところ。最初、石柱は何かの碑かと思っていた。

上部分を反対側から撮影。中央窪み奥に登った階段がある。段差が大きい階段側に比べて、こちら側は地表の高さと同じ。

上から中央部をのぞきこむ。
碑だと思っていた石柱だが、それと同じものが別に二本折れて残っていた。碑ではないようだ。
窪み部分にはスリットが残るが、どうなっていたのか分からない。

碑だと思っていた石柱。
こうやって落ち着いて見てみると、碑文もなにもない。何かを支えていたにしては強度もなさそう。周囲の建造物のように鉄筋コンクリートでなく、わざわざ石を使用していることに何やら意味があるのだろうか。

窪み部分、横壁面。
スリットと、お釜を伏せたような型が見られる。

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