篠島 その1
(2006/1 南知多町)

昨年、相互リンクをお願いした「遺構探訪」の管理人後藤さんから篠島の本土決戦陣地散策の誘いがあった。後藤さんが持っている伊勢湾の火力配置図によると、篠島に10cm加農砲陣地が置かれていたらしいのである。後藤さんと本土決戦陣地の玄人ネーモンさんは3年半前にも篠島散策を行ったらしいのだが、その時は加農砲陣地跡は発見できず、今回はそのリベンジをかけての散策らしい。
HPだけを通じて人と会うのは初めてではあるが、筆皇と参加することとなった。ただ直前にメールの調子が悪くなって連絡がつかず、不参加と思っていたようだった。当日電話連絡がつき、急遽師崎港で合流することとなった。

師崎港で船を待つ間に後藤さん、ネーモンさんと合流、なんとかコラボツアー決行となった。

チケットを買う時に横入りしてきた不埒なカップル。
もちろん文句は言わなかったよ。だって男はどうみても40代、女は20そこそこの通称ヤクザカップルなんだもん。

後藤さん、ネーモンさんから篠島の本土決戦陣地について簡単な説明を受ける。

今晩の宿となる民宿富士は海水浴場の目の前、ここで散策計画の確認を行うこととなった。
後藤さん、ネーモンさんは3年半前にも篠島の遺跡散策を行っているので、今回はそれを踏まえて計画立てられていた。

笑顔で散策計画を確認するコラボチーム。
ただ、ネーモンさんの目が笑っていないことに気付いてしまう自分の気の弱さが哀しい。

3年半前に二人が取材を行ったギフヤ旅館の河合さんに挨拶がてら再度話を聞きにいく。河合さんは戦時中、名古屋の高射砲陣地にいたらしい。
残念ながら戦時中は篠島を離れており、当時の篠島についての情報はあまり得られなかった。それでも昨年出版した篠島の歴史についての本を進呈してくれた。

この日の散策は中学校の南側海岸付近から開始。

ネーモンさんが斜面にコンクリートらしき部分を発見したが、藪が邪魔をして近寄れない。
自分だったらここで挫折するところだったが…。

ネーモンさんはマイジャイアント鋏で藪を切り分けて前進!
後ろをついていきながら、専門家との行動力の差をまざまざと見せられた気がした。


残念ながらコンクリートは通常の護岸用のものだった。

ネーモンさんが故川口浩ばりの前進を行っているころ、後藤さんは岩場を調査、筆皇は青春を謳歌。

イッツ、プロミス。

筆皇が最初の散策地点から100mほど離れた地点にコンクリートが散在しているのを発見。
海岸の両側を岩場で囲まれたような場所に散らばる鉄筋入りのコンクリート。
←イメージとしてはこんな感じ。

ネーモンさんによると、
・鉄筋の一部が新しすぎる
・コンクリートの中にタイルが埋まっている
・加農砲だとすると波打ち際に寄り過ぎる
などのことから戦時中のものとは考えにくいとのことだった。
ただ、場所的にトイレや観光向けの建物とは考えにくく、鉄筋の入り具合からしっかりした建造物だと考えられ、若干の期待を残した。

いい感じで錆びている所もあるのだが、自分が見ても戦時中とは思えない錆び方の鉄筋も多い。

筆皇、建設年不明のコンクリート群に続き、製造年2006年と思われるアダムスキー発見。

ネーモンさん、近くにいた若人に防空壕などを見たことないか聞き込み。
自分は話の内容より若人の自転車ハンドルが気になってしょうがなかった。

歩いていたおじさんにさっきのコンクリート群、及び戦跡について聞き込み。
残念ながら、さっきのコンクリート群は中学校を建てる時に資材を搬入した桟橋の跡らしい。
その他、防空壕はほとんど埋まってしまっている、島の南に赤レンガの建物が残っている等の情報を入手。ただし赤レンガについては割と有名なもので、後藤さん、ネーモンさんは前回の散策で既に見学済。

鯨浜付近で別のおじさんに聞き込み。
同様に防空壕はほとんど埋まってしまっているという情報しか得られず。
どうでもいいが、ネーモンさんのマイジャイアント鋏は威嚇にとても有効だ。

丘と海岸の間にある平地。
恐らく池か沼の跡地だろうということで潜入は行わず。

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