熱田区被爆堤防 |
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昭和20年6月9日午前9時17分アメリカ軍の爆撃機「B29」40機以上が名古屋市熱田区を中心として空襲を行った。主な目標は軍需工場「愛知時計電機」など。約10分の空襲で工場で働いていた勤労学徒ほか2000名以上の死者を出した。
堀川河畔のコンクリート製堤防はこの時爆弾の破片で多くの傷を負った。堤防はその後撤去されたが、一部河岸に保存されている。 |
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堤防横にある説明板。
願わくば図やもう少し詳細な説明が欲しい。 |
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残された堤防、説明板含めてこれだけ。無駄に多く残せばいいわけではないのだが…。 |
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堤防の幅は2m少々、しかしその爆弾痕跡密度はすこぶる高い。 |
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痕跡アップ。 |
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痕跡の深さを伝えようとライターを置いてみたが、写真ではどうも伝わらない。 |
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残された痕跡で大きめのもの。ライターと比較してこれくらい。こんな爆弾片が体にあたれば、吹っ飛ばされてしまうだろう。 |
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堤防全景。
約60年前の戦争の傷跡、たったこれだけなのか、これだけ残せばいい方なのか。 |
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堤防のすぐ横には何に使われたものか鉄骨が置かれていた。千羽鶴(そんなにないが)が備えられていた。 |
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河岸の遊歩道に置かれている。車を停める所はないので名古屋市内にありながら結構見学しにくい。 |
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