三菱地下工場跡 その1
(可児市 2011/2)

おヒマな中年二輪愛好会愛好会(ヒマ中)」のまつさん&EDさんとの共同散策。当初は豊橋方面の散策予定だったが、いつものようなあてなし山中散策ではまずいと急遽変更。「TEAM酷道」のよごれんさんから可児地下工場跡の場所を教えてもらって今回の目的地とした。
当日は遅刻した上、こちらが指定した集合場所のコンビニの場所を間違えるなど、まつさん達に大変迷惑をかけてしまった。
もしかしたら会った瞬間に胸ぐら掴まれるのではないかと心配したが、温厚な方々でそんなことにはならなかった。


本題の地下工場跡であるが、戦争末期の激しい空襲を避けて航空機のエンジンを製造するために作られた疎開工場である。昭和19年から建造(というか穴掘り)が始まったが、全体の約80%まで完成したところで終戦を迎えた。
三菱の疎開工場としては最大のもので、その延長距離8kmは有名な松代大本営に匹敵する規模である。 片や天皇をも迎えようとする大本営、片や航空機のエンジンを製造する工場ということで目的こそ違え、共に敵の攻撃を避けて戦争を継続しようという大前提に基づいて作られた施設である。

どんどん道が狭くなってきたので広場に車を停めて散策開始。
と言っても広場の山肌には既に坑道が口を開いて待っている。山中での散策を予想してツナギに登山靴でやってきたのだが、過剰装備だったかもしれない。

と、この時は思っていた。

とりあえず中を覗いて見る。
角こそ少々丸みをおびているが、辺部分は直線的。道は奥まで続いているが路面は一面の水たまり。自分達は登山靴だから多少進めるが、まつさん達はライダーブーツ(?)、よごれんさんからはたくさん入口が開いていると聞いているので無理せず別の入口を探すことにする。

横の壁はくり抜いたようになっており、物が置けるようになっていた。

シイタケ栽培にでも使ってたのか、奥には破れたビニールシートが見える。その奥は左右に分岐しているようだが、持ってきたLED懐中電灯では光が届かない。

LEDは電池の持ちはいいのだが、こういうシチュエーションでは使いにくい。

ここまで来た道路はこのフェンスで行き止まりとなる。
ここも地下工場入口の一つなのだが、かつては山の向こうに抜けるトンネルとして利用されていた。
現在は通行禁止で頑丈なフェンスが行く手を阻んでいる。

どうでもいいが、「阻む」と「バハムート」は似ている。

結構しっかりした坑道だったので、フェンスを乗り越えてみようかと思ったが、まつさんの高性能懐中電灯で奥を照らすと十数m先で完全に埋まってしまっている。
自然に崩れたにしては完全すぎるので人為的に埋めたようだ。

では次の穴と思って辺りを見回してみたがそれらしい穴が見つからない。誘った手前ここで終わりというわけにはいかないので、少し山中を探すことにする。

2分ほど歩いて見つけた入口。
半分以上埋まってはいるが、とりあえず潜ってみることにする。

入口から撮影した坑内。
湿気がひどくモヤがかかって奥まで見えない。それでもとりあえず左右に分岐しているのは確認できたので、先に進ん見ることにする。少し中腰で奥へ進む、足下は若干ぬかるみ気味。
足元を気にしすぎて何度か天井で頭を打った。さよりも毛穴へのダメージが心配になる。

少しぬかるみが増したなと思った瞬間、左足が一気に沈みこんだ。

左足を引きぬこうと、右足に力を入れた瞬間、今度は右足がズボっと…、はい…。

助けを求めて入口を振り向くもこちらを心配そうに見てるのはまつさんとEDさんだけ。

「大丈夫ですかー!」
まつさんの声が聞こえる。

本当は大声で助けを呼びたいのだが、人間あせると全然違う言葉を発してしまう。
(助けて!俺死んじゃう!足抜けないよ!)
     ↓
「大丈夫ですよ〜。」


おぉぉぉ!埋まってくよ、俺!
おぉぉぉ!ピンチだよ、俺!
おぉぉぉ!何言ってんだ俺!

結局、天井が低かったので手をつき、それを支点にして引きぬいた。もし天井にカマドウマが密集していたら脱出できずに死んでたはず。

どうでもいいが、この泥、猛烈に臭い。

更なる入口を探して奥へ進む。
汚れた靴とズボンを洗うために沢に入ってザブザブ進む。雪解け水は身を切るように冷たいが仕方ない。

まつさん達もヤブをこいでやってきたが、入口がありそうな気配が全くない。

もしかして、今回これで終了?ましてや合同でこれ?年上の方々を招いておいてこれ?

穴があったら入りたい…。
泥があったら埋まりたい…。

…いや、やっぱり埋まるのはもう嫌だ…。
なので筆皇が別の入口を見つけていることを期待して駐車場に戻ることにする。

筆皇はいない。
何気に駐車場と道路を挟んだ反対側の広場を見るとぽっかり口が開いている。

とりあえず入ってみることにするが、広場横の立入禁止処理もされてない入口など数m先で埋まってるのが関の山だろうと思っていた。

あっても十数mと思っていたが、意外に奥まで続いている。足下も若干湿ってはいるが、埋まってしまうほどでもない。

まつさんが先頭で歩く。
少々距離を開けて歩く。理由はまつさんには内緒。

最初は四角形に近かったが、奥に進むと楕円形になってきた。

途中何ヶ所か広い区画があり、そういった所は天井も高く、4m近くある(と思う)。

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