河和海軍航空隊 その1 | ||
|
||
愛知県知多半島の南端近く、知多郡美浜町に置かれていた航空隊。 知多郡河和町(当時)は戦前から水上機の訓練が数度行われており、昭和15年には連合艦隊司令長官山本五十六も訪れている。 基地建造のため、予定地の土地を買い上げて住民を強制集団移転させた他、予定地の中央を流れる大川の流れを変更させ、田を埋め、崖を削る急ピッチの工事が進められていった。ただし、住民の移転については、働き手の成人男性が兵役で取られており、残った老人、婦人、子供のみでは予定通りとはいかなかったようである。 昭和18年6月に整備教育を目的とした「追浜海軍航空隊知多分遣隊」として開設、同年12月には河和海軍航空隊として独立した(昭和20年3月「第一河和海軍航空隊」改称)。同じく12月に水上機の操縦教育・実戦部隊として「小松島海軍航空隊知多分遣隊設置」開設、昭和19年4月に「第二河和海軍航空隊」として独立。こうして第一河和空(整備教育・新兵教育)と第二河和空(操縦教育・実戦部隊)の各航空隊での実践教育が進められていくことになったが、既に戦局は悪化しつつあり、共に充分な教育を受けることはできなかった。 昭和19年6月現在遺構として残っているスリップが完成した。 同年夏頃にもなると戦況は更に悪化していく。第一河和空は防空壕掘りに終始し、第二河和空では開隊後数ヶ月でガソリン不足から満足のいく操縦搭乗練習は行えない状態となった。同年12月には東南海地震が起こり、航空隊も埋立地が水没するなど被害を被っている。 昭和20年には戦況悪化・燃料不足は深刻化し、アルコール燃料による飛行試験を行わなくてはならないほど切迫した状況に陥っていくが、実用化にはほど遠い状態だった。 第一河和空は松根油搾取及び、大井・片名の特攻艇基地建設従事、第二河和空は主に夜間を中心とした特攻及び本土決戦時用の夜間爆撃練習のみで、昼間は掩体壕、松根油搾取が連日続いていた。 2月には特攻隊(河和隊)の編成が行われ、3月には練習航空隊が解散、河和空も実戦部隊に組み入れられることになった。 名古屋等への空襲も次第に激しくなってきたが、我が物顔で飛んで来るB29に対し、水上機では接敵すらできない有様であった。また、P51等戦闘機による基地への空襲も度々行われたが、貧弱な対空機銃で応戦するのみで、水上機は急いで隠すことくらいしかできなかった。 8月15日終戦、8月21日に隊は解散となり、河和海軍航空隊の歴史は終わった。 【参考文献:河和海軍航空隊 調査報告書/写真転載:美浜町「河和海軍航空隊と美浜町」】 |
||
|
||
第二スリップ(第二航空隊) | ||
|
||
第二スリップは幅約250m、長さ約40mと、第一・三だけでなく、名古屋市港区に残る明徳スリップと比較しても、かなり大きい。 南岸の補強部分。城郭風に言うと割と簡単に積める谷積と言われる積み方。 |
||
|
||
スリップ跡から北側を向いて撮影。石畳のような規則正しいコンクリート片が並んでいる。 コンクリート片は数種類の大きさがあり、置かれる場所によって大きさが合わせてある。 愛知の戦争遺跡ガイドによるとこれら海際近くのコンクリートは2.5m×2m×0.8mサイズで統一されているらしい。 |
||
|
||
満潮になると海没する部分。 海苔っぽい海藻が一面にへばりついており、非常に滑りやすいので注意が必要。 2列の窪みが存在するらしいのだが、見つけられなかった。 |
||
|
||
真ん中よりやや南側に見られる拡張部分。第二スリップは、もともと二つあったスリップを一つにしたため。 | ||
|
||
真ん中部分より北側は破損が激しく、コンクリートが散乱している。足を載せると、くじきかねないので注意。 | ||
|
||
厚さ80cmとされるコンクリート片。所々大きく破損しているのは戦時中の空襲や、戦後米軍に破壊された跡だとされる。 | ||
|
||
第二スリップの北端近く。 破損はそれほどでもないが、波の影響か、南端部分に見られる一面の海藻はこちらでは見られない。 |
||
|
||
北端補強部分。 波がダイレクトに当たる部分であるためか、破損が激しい。 |
||
|
||
北端部分から南側を臨む。 夏になると、禁止されているにも関わらず、ジェットスキー等を持ち込む輩が多い。 漁協管理の区域らしいので、度の過ぎた輩が理由で、完全立入禁止にならないといいのだが。 |
||
|
||
エプロン跡(第二航空隊) | ||
|
||
都築紡績跡のエプロン跡。 戦後、都築紡績美浜工場となっていたが、数年前に倒産し、現在は更地となっている。 3m四方のコンクリートが敷き詰められていたが、こちらも都築紡績解体時にかなり撤去されてしまった。第2スリップ北西側に若干残っているものを撮影。 工場時代は敷地内に往時の弾薬庫等の建造物が残っていたが、工場解体時に同時に解体された。 |
||
|
||
Googleの航空写真で見るエプロン跡。 写真中央部分付近に、コンクリート板がタイル状に並んだエプロン跡が見られる。 右手海岸には第二スリップ。 |
||
|
||
在りし日の弾薬庫。 (美浜町「河和海軍航空隊と美浜町」より) |
||
|
||
第三スリップ(第二航空隊) | ||
|
||
第二スリップの南側に残る第三スリップ跡。練習用として用いられたもので、第二と比較すると規模は小さいが、保存状態は良い。 幅約80m、長さ約44m。 |
||
|
||
花崗岩で作られた、第三スリップ南端補強部分。 | ||
|
||
第三スリップ南端から北側方面を臨む。 | ||
|
||
1/2/3/4/5 |