河和海軍航空隊 その5

山城等でよく見かける堀は、城に攻め寄せる敵の動きを封じるものであるが、今回その利用価値がよく分った。
本来の役割は違うが、堀状に残された、これらの溝によって、自分の動きがすごく制限されてしまうのだ。


そんな中で、非常に便利だったのが、この溝を跨ぐような地形。
こちらも山城などでよく見かける土橋によく似ているが、逆に溝の中を通行する兵士にとっては邪魔なので、恐らくそういう意図のものではないのだろう。


なんにしても、山城の防御について学ぶことができたと、自己満足な一瞬だった。

貯水槽周辺は竹はあまりなく、雑木林となっている。ツルっぽい草が多く、足をよくとられて転びそうになった。
遭難することはないだろうが、日没直前などの訪問は避けた方がよいだろう。

麓付近に残る竪穴。
二段階に掘ってあり、第一段階は1m少々、その中心部に井戸チックな直径2mくらいの竪穴が掘られている。
調査報告書によると深さは6.5mとかなり深い。
こちらも周辺部はフェンスで囲われている。あまりこういった遺構がフェンスで囲われるのは好きではないのだが、ここは正直あったほうが良いと思った。

防空壕(第一航空隊)

写真の丘陵地帯には物資用とされる防空壕跡が複数残っている。
現在は危険防止の為、出入口をネットで塞いである。


関係ないが、左側に写っているのは野犬捕獲用のオリ。

時間が無かったので、一つだけ撮影。ネットは二重になっており、隙間からカメラを突っ込むこともできなかった。

軍港(第一航空隊)

連絡橋基礎の海側に残る港跡の入江。現在は堤防が築かれていて、海とは水門で繋がっているのみ。
事故や故障などで墜落したり、不時着した機体を引き揚げるのに用いられた。

二段ある石垣のうち、下段は海軍航空隊によって建造されたもの。

足元の堤防の下段側も当時の石垣。

港を塞いでしまっている堤防。もちろん堤防の向こう側は海。

美浜町 「河和海軍航空隊と美浜町」

美浜町で平成18年に開催された「河和海軍航空隊と美浜町」の様子。
7月には元航空隊員の方々による講演会も開催され、参加した。
なかなか聞けない話を聞くことができ非常に有意義であったが、これから年月を重ねていくごとにこういった機会も減っていってしまうと、非常に貴重であったと思う。

美浜町は知多半島の南側に位置する町で、正直田舎であるが、町の歴史への取り組み方はとても真面目で熱心。
生涯教育センターの方に話を聞いても、思想の右左関係無く、美浜に河和海軍航空隊が置かれたという事実とその影響を真摯に受け止めた上で取り組んでいる姿勢がとても印象的だった。


写真は神風特別攻撃隊の鉢巻。

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