父島 その1 (2006/9 小笠原村) |
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東京から船で約25時間、飛行機では行けない小笠原諸島、その中で最大の大きさを持つのがこの父島。昭和19年戦況の悪化により、住民は内地に強制移住させられた。硫黄島陥落後、南方の要として島は要塞化されたが、空襲は受けたものの直接戦闘が行われることなく終戦となった。戦後は米国統治となったが、昭和43年返還された。現在も多くの戦争遺跡が残されており、未だ未発見の物件もあるとのことだった。 筆皇筆「ATフィールド展開!in小笠原」ダイジェスト版、はっとし加筆修正。 |
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父島へ渡るフェリー、「おがさわら丸」、6700t、131m。戦艦大和の半分の長さだな。 | ||
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港に下りると凄い歓迎振り。 小笠原諸島の中心島とはいえ、人口2000人ほどらしい。 |
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翌日の戦跡ツアーのガイドさんが言うには大戦時に作られたトンネルらしい。 | ||
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もちろん今は崩れないように補強してセメントコーティングもバッチリ。夜でも通れるように蛍光灯も完備。ちなみに歩行者専用。 | ||
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何の碑だかわからないくらいに文字が消えかけ。 | ||
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これも絶対それなんだけどなぁ。 | ||
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まずは海軍慰霊碑に線香をお供えしてから。中心の慰霊碑の周りにある小さな碑は父島付近で亡くなった海軍さんの人数分作られていたらしいけど、島まで運ぶ途中に船が転覆して大半は海に沈んだらしい。 | ||
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当時の発電所。やっぱり人があまり入らないせいか比較的いい状態。 | ||
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戦闘機の機銃掃射の後だってさ。硫黄島まで占領した米軍は戦争中には父島には上陸しなかったらしいからこういう銃痕は基本的には飛行機によるものらしい。 | ||
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中の状態もそんなに悪くはないし、自由に出入りできるのがいい。 下のコンクリートが発電機の台座。 |
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入口の扉が付いていたチョウツガイ。扉は厚さ10センチほどの鉄板だったらしい。ドイツのティガーⅠの装甲も同じ位だからとんでもない戦車だな。 | ||
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こんなに森の奥に入ってこないと見つからないってことはガイドを頼んでなかったら自分では見られなかったな。 | ||
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サビサビの階段で2階にも行ける。でも、ちょっと不安なくらい錆びてる。 | ||
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「stupid people lives longer」愚民は長生きって意味かな?占領時に米兵が日本人に対して書いたのか?それとも島民が占領していた米兵に向けて書いたのか? | ||
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さっきの発電所の入口はここ。門の横のフェンスの倒れた部分から入っていった。 | ||
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次は山の中に入っての散策。入口付近にある首なし尊徳像とそれを見るお坊さん。アメリカ統治下にあるときに偉人さんが持って帰ったらしい。どおすんだ?持って帰って皆にみせるのか? | ||
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南国チックな森林。なんか本土と違って虫が少ない。蜂も虻もいない。潮風に弱いのか? | ||
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ガイドが触っているのが海軍の担当する場所を示す石らしい。上官が部下に「お前は今日から海軍二の担当な」って感じで。 | ||
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照明の残骸。これで米軍が上陸してきた時に確認するつもりだったのかな | ||
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