ナウル島戦争遺跡 その1 (ナウル共和国) |
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「てつ」さんから太平洋に浮かぶ「ナウル」の戦跡写真やレポートをいただいた。 ナウル島、自分も名前こそ聞いたことがあったが、場所や観光資源など、具体的なことは全く知らなかった。 自分がサイパンで高角砲を見た時は観光地ゆえのアンポンペイントで興冷めだったが、観光地化されていないナウルの戦跡は展示というより、『ザ・放置』。 それだけに往時の雰囲気が色濃く残っているようだ。 …ということで最近さぼり気味の自分としては大変ありがたい投稿レポート。 【ナウル共和国】 世界で3番目に国土面積が狭く、人口が少ない国。 戦時中、日本軍が占領、戦後はアメリカにより信託統治領となり、1968年に独立。かつてはリン鉱石の採掘で豊かな国であったが、近年になってリンが枯渇すると、それ以外に産業がなかったことや、それまでほとんど労働することのなかった国民性から、一転して貧しい国となっている。(Wikiより) 日本大使館あり、関西国際空港からフィジー乗り換え。 レポート:てつさん(はっとし一部編集・追加) ナウルは車で1周20分位の島ですが、海岸沿いに無数のトーチか が現存しています。 ナウルに行った理由は おじいさんがそこで戦死してまして、親父が「死ぬ前に1度でいいから 行って花を供えたい」って言ったのがキッカケですね。 島の中央は山になっていますが、旧日本軍の要塞跡があり、高角砲が3つ、赤錆びた砲を空に向けて残っています。グアムなどのように 錆び止塗料など塗られていない 人の手の入っていない砲です。地下要塞は入口の写真を撮影しようとした時に、「やめなさい 中の人達が、あなたがたが来て騒いでる」と言われて撮影&中に入るのをやめました。(笑)。 日本人だからですかね? 私は霊感まったくないので分からないんですけどね(笑)。 島にあるホテル (メネンホテル)の裏庭にも 状態の良い トーチカがあります。 島には誰が建てたか分からない名前入りの慰霊碑が建ってたんですが、ナウル行ってしばらくして外務省から「慰霊碑たてたのはあなた方ですか?」と封筒届きました。私たち以外行った記録がないらしく渡航記録を見て送ってきたそうです。謎です。 |
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山の上の戦跡。 確かこんな感じだったかと…。 |
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山上にある旧日本軍陣地跡に残る砲です。 途中まで車でいき 砂利道を徒歩3、40分位歩くとこれが右手に見えてきます。 山道歩いて木々の間から 砲が見えた時なんて 頭の中から お線香とお酒をどこで供えようなんて気持ち 飛んでました(笑) 。 砲は全部で3つあったと思いますが、全て同じものでした。 大きさは グアムにあるものよりだいぶ大きいと思います。(12.7cm連装高角砲?) 高さは私の身長と照らし合わせたら 2・5m位でかなり大きな砲だと思います。 周りに立ってるクイみたいなのに 戦時中は偽装網かけていたのでしょうか?砲床はコンクリート製でした。土台には、下に降りるマンホールチックな穴があります。 |
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右の人が入るところの中は変な機械らしきものがあり、左側には 足をかける梯子があり、その上には椅子とクルクル廻すハンドル類がついていたので、多分、砲の角度や照準を こちらで操作していたのかと思います。 |
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高角砲は 同じものが3つありますが、砲身の角度が違います。 |
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砲の足元には鉄の蓋があり、どけると地下に伸びる梯子が残っています。 | ||
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高角砲を横から撮影。 |
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後ろから撮影した写真。 入口らしきものがありますが、高さは170cm位です。 |
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これが ひらけた所になります。 広さは 奥行き8m位 横に15m位 わかりにくいですが深さ4〜5m位の穴が空いてます。落ちたら怖いので、遠くからとったらこうなりました。 写真では小さいですが 奥に立看板らしきものが見えます。 写真に丁度入ってない位置に 十字架と枯れてない献花があり ここには何があり そして何があったのかは、わかりません。 |
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泥団子っぽいが、鉄骨入りの建物。 |
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