軍艦防波堤
(福岡県北九州市若松区 2005/1)

福岡の実家帰省の折、戦争遺跡に詳しいHP「戦捜録(管理人望月さん)」を参考に戦争遺跡のいくつかを訪れてみた。そのうちのひとつ、福岡県北九州市若松区の「軍艦防波堤」。正式には大正6年竣工の「柳(初代)」という駆逐艦。昭和15年に除籍となっており、太平洋戦争には参加していない。ただし高塔山の慰霊碑の「柳」についての戦歴には「柳(二代目)」について記載されているため、この軍艦防波堤の「柳」も二代目と勘違いしやすい。
また、付近には太平洋戦争に参加している「冬月」・「涼月」も同様に軍艦防波堤となっているが、現在では完全に埋没されてしまっており、姿を見ることはできない。
詳細は「戦捜録」さんを見ていただくとして、とりあえず撮影した写真をアップ。

関連HP:
戦捜録(http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/index.html)


GoogleMapで見た軍艦防波堤。
船首部分など船の形状が良く分かる。 → 現在のGoogleMap

艦尾部分から艦首方向に向いて撮影。
写真で見たときはあまり大きく見えなかったが、実際見てみると結構な大きさだった。全長は90m弱。

艦尾部分を横から撮影。船体途中から切断屈曲しているため、周辺コンクリートと同じ高さになっている。

舷側部。
船体の上の白い物体はコンクリートブロック。高さおよそ1mほど。

艦首部を臨む。
台風や風化でかなり崩壊が進んだらしく何度か修復が行われている。「戦捜録」さんに詳しく記載されてあるが、修復中は舷側の補強コンクリートがなかったので、今以上に駆逐艦本来の姿が見られたようだ。
かなり損壊していたようだがそれはそれで見てみたかった。

横から艦首部を臨む。両舷はコンクリートで補強されている。
ちなみに見えている表層部分が甲板部ではなく、もう少し下層部分とのこと。

艦首部。右側に突起部が見られるが何の跡だろう。

艦の横に置かれてあったコンクリートブロック上の鎖とシャックル。艦に関係があるのかどうか不明。

艦首舳先部分。この防波堤を船らしく見せている残された数少ない部分である。

埋没され、地表からの高さがあまり高くないので小さな船に見えてしまう。

舷側部。コンクリート補強されているのが艦首方向。

あまり損壊が進んでいない艦尾部分ではあるが、良く見るとあちこち痛んでいる。
縁(といっていいのか不明だが)が外れてしまっている。

まわりの埋め立てが進み、現在では防波堤としての役割も終えている。それにも関わらず、損壊時に修復が行われた。

説明板によると「冬月」・「涼月」も「この手前の護岸の中に埋没しています」とある。「この手前」というのがどこかはっきり分からなかったが、「柳」の手前だと勝手に判断し撮影。
この二艦は昭和36年の台風で致命的ダメージを受け、その翌年の修復時に完全に埋没されてしまったらしい。防波堤としての役割であるため仕方がないが、三艦並んでいた時を見てみたかった。


船体横の説明板。
冒頭部にも記載したが、慰霊碑に記載されている戦歴は「柳(二代目−松型)」についてであってこの軍艦防波堤「柳(初代−桃型)」のものではない。
説明板を読んで何枚か写真を撮っていたら、釣り人の一人も説明板を読み始めた。その後連れ合いに何か話していたところを見ると、これが船であったことを知らなかったようだ。

艦首部から撮影。表層部に置かれたコンクリートブロックが何となく艦橋部分にも見えるアングル。
みぞれが降る寒い夕方であったが、釣りを楽しむ人の姿をちょこちょこ見かけた。
駆逐艦、そして防波堤の役割を終え、海の近くで眠りにつく柳であった。

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