半田赤レンガ 機銃掃射跡

第二次世界大戦時における、半田市への本格的な空襲は、昭和20年(1945年)7月15日、硫黄島吉を発進した米軍のP51戦闘機10数機によって行われました。3機から6機編隊に分かれたP51が、三波にわたり、半田市上空に飛来し、超低空から攻撃を繰り返しました。
市内とその周辺地域に急降下による機銃掃射を浴びせ、8名の市民の犠牲者を出しました。
当時、中島飛行機の衣糧倉庫として使われていたこの「旧カブトビール工場」も激しく銃撃され、火災が発生し、一部が損傷しました。
今もなお、その時の機銃掃射による多数の弾痕が北側壁面に残っています。全国でもまれな貴重な戦争遺跡であり、戦争の悲惨さを語り伝える役割を果たしています。
(赤レンガ説明板より)


半田赤レンガ(半田市公式HP)
半田赤レンガ(underZeroレポート)

赤レンガは明治31年丸三麦酒株式会社の工場として竣工、その後昭和19年からは中島飛行機の衣糧倉庫として使用された。
戦後いくつかの会社の手に渡ったが、現在は半田市が所有して年に数度の館内公開を行っている。

赤レンガ館内公開時に展示されていた半田機銃掃射についての新聞記事。
「小火災を起こした程度で被害は軽微」とあるが、実際には死者8名を出していた。

北面の機銃掃射跡に食い込んでいたP-51の実弾。右は原寸大の機銃弾イラスト。

昭和19年7月15日の機銃掃射跡が残る赤レンガ北面。

無数の弾痕が残る。
館内公開は年に数回だが外観の見学は常時可能、この機銃掃射跡の訪れればいつでも見ることができる。

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