名古屋の高射砲跡 その1

笠寺陣地:
名古屋市南部の見晴台に築かれた陣地。昭和17年11月、高射砲中隊「あそ隊(300名)」により、陣地構築開始。当初八八式七糎高射砲4門が装備されたが、昭和18年8月の陣地再構築で2門追加された。昭和19年11月には第二大隊「いすず隊(200名)」も配置され、名古屋南部の防衛にあたった。陣地内には撃墜柱の他、ここの砲で撃墜したと思われるB29の尾翼も展示されていたが、終戦当日大急ぎで埋めたらしい。
高射砲の他にも兵舎、指揮所、通信施設等、付属する建造物も多く築かれたが、戦後取り払われ、わずかに高射砲砲床と砲側弾薬庫を残すのみとなっている。なお、この見晴台は弥生時代からの遺跡跡でもあり、それらの出土品も多く出土している。

1 3m測高機・測定機
 2 いすず神社
 3 三角兵舎
 4 電波標定機V型
  送信機
  (対面が受信機)
 5 弾薬庫
 6 兵器庫
 7 将校集会所
 8 通信室
 9 指揮小隊長位置
10 第一,ニ小隊長位置
11 第一,ニ小隊長位置
12 委託兵集合
     教育担当兵舎
13 無線機室
14 衛兵所
15 大隊本部事務所
    将校宿舎
16 八八式七糎
    高射砲砲台
17 中隊事務所
18 医務室
19 通信交換所
20 対空双眼鏡
21 土採取跡

見晴台考古資料館内に展示されている戦時中の見晴台。こちらだとだいぶ立体的に見ることができる。
6つある丸い所が高射砲。当初、高射砲は4門であったが、昭和18年8月の陣地再構築で2門追加され、6門となった。
戦後、資料館建設までは6門とも砲台が残されていたが、現在では2基しか残存していない。

見晴台考古資料館内説明板。
八八式七糎センチ高射砲六門が置かれていた。この高射砲は口径75mmで射程は13,800m、到達高度は9,100mとのこと。
軍需施設が多く、常に空襲にさらされていた名古屋で南部から来る爆撃機に対応するために建造された。


しかし、高射砲で飛んでくる飛行機を打ち落とすのはかなり難しいらしく、防空学校では1000mの高さを飛ぶ飛行機に対して、300発撃ち、1機墜落させられればよしとされていたらしい。

見晴台で発掘された遺物。
左から信管、銃剣、砲弾、ハンドル。これ以外にも工具ややケーブル線等数多くの出土品があった。
なかには歯ブラシやタムシ液の瓶等、兵士の日常をうかがえる出土品もあったようだ。

発掘された訓練用木弾。
弾を込める基本動作の訓練用に使われたもので、木製と金属製のそれぞれが発掘された。

高射砲砲座跡。考古資料館には6基の高射砲が存在しており、そのうち2基が残されていると記載されてあったが、高射砲の台座として残っているのは第ニ分隊砲台と呼ばれるここだけだった。


 拡大写真

ぺトン床と呼ばれる砲床。
中心穴、ボルト穴が確認できる。三方に伸びる溝は排水用。


 拡大写真

砲床東側にはコンクリートの剥がれた跡が残るが何かつけられていたかは不明。


 拡大写真

水抜き穴と思われる、一段目側面の穴。上面の中心穴と繋がっているらしい。

二段目側面のパイプ。こちらも水抜き用と思われる。

一段目アップ。

中心穴と12個のボルト穴。ボルト穴の内部側面には鉄板が張られている。ネジ溝は確認できなかった。






説明板から書き写した高射砲断面図。当時、砲床頂点までの高さは地表から1.5mほど、現在はかなり埋まってしまっている。

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