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第二回戦争遺跡散策の参加メンバーは以下の通り。 写真左より、筆皇-32歳(当時)・√2号-27歳(当時)・4号-32歳(当時) |
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第二回の最初の目的地、清洲飛行場の発見に失敗したメンバーが向かったのは瀬戸市の地下工場跡。愛知航空機(株)の疎開先地下工場であった場所。終戦間近の1945年、名古屋市から疎開して作られた地下工場跡。 踏切では必ず窓を半分開ける真面目な筆皇、残念ながら東北ツアーの際に気付かなかったとはいえ、踏切一旦不停止で捕まっている。 小学校の校庭で少々遊んだ後、遺跡へ。 |
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「城や寺はよく保存されているのに、時代が新しい戦争遺跡は何故保存されていないのだろう?」 筆皇のセリフ。 この地下工場跡は「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」によって、保存・整備が行われている。その為、山中の戦争遺跡にしては珍しく、案内地図も出されていて非常に見学しやすかった。 案内図 |
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保存する会によって、出入口跡には記号がふられている。 写真はA4。水野小学校から一番近い場所にある出入口。ほとんど埋もれていてカメラを突っ込むのがやっと。 |
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A4内部。この時は気付かなかったが、写真中央上部には既に自分達の苦手なカマドウマが既に姿を現していた。 | ||
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地図にあったA5は発見できなかった為、B1へ。 こちらは出入口が埋もれていないので内部の写真を撮る事ができた。 |
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B1内部。数m行った所で埋もれてしまっている。危険防止の為に埋めたのだろうが、この奥にずっと通路が続いているであろうことを考えると少し浅すぎて悲しい。 | ||
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B1内部奥の屋根の抜けた部分。屋根が抜けたから木が生えたのか、木が生えたから屋根が抜けたのか…。まぁおそらく屋根が抜けたのが先だろう。 | ||
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小学校の裏山を彷徨するメンバー。筆皇はこのところ引きこもり気味だったので、太陽の下を歩いて嬉々としている。 自分は穴探索に必要なガーコを忘れてきてしまったので少々落ち込み気味。 |
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おそらく現存する出入口で一番深いA6。筆皇は穴が苦手なので深いと分かると心細そうな表情。 | ||
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自分が先頭で入る。登山用に買ったヘッドランプで内部を照らす。とりあえずカマドウマはいなさそうだ。 | ||
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