岸根鼻砲台 その1
(江田島市 2011/3)
広島湾要塞の一角を為す砲台の一つで西能美島の北西に位置する。明治31年(?)竣工で、27cm加農砲と9cm速射加農砲を備えていたが大正期の軍縮で廃止された。太平洋戦争末期には燃料置場として再利用されていた。

戦後は長い期間放置されていたようだが、岸根鼻が海水浴場として整備されると公園として整備された。掩蔽部跡を利用した「岸根砲台記念館」、観測所跡には展望台、さらに広大な駐車場や通路には柵やポールも設けられた。ただし砲台跡公園として整備した割には砲床の大半を破壊してしまうなど、本末転倒な部分も見受けられる。しかしそれも束の間、この砲台があった沖美町が江田島市に合併されると公園は放置され、再び荒れるにまかせた状態となっている。

今では使われていない観光用の駐車場に停め、やはり使われていない観光用の階段を下りて「がんねムーンビーチ」へ。

これが結構きつい。最初からビーチの駐車場に車を入れればよかったのだが、ここの南側にあったはずの鶴原山砲台も探していたのでこうなった。

結構きれいな砂浜だったが、さすがに3月ということでトチ狂った海水浴客はいない。

右手の建物は「アーテコハウス」というカフェバー。ネットでちらっと調べると黒人さんと日本人の奥さんが経営しているらしい。
生活できるほどお客が来るのか疑問ではあるが、ネットでの評判は良かった。

前方の小山が砲台跡。

カフェの横を抜けて落ち葉の積もった道路を登る。
呉・江田島の砲台跡は一度公園として整備されるも、その後放置されて再び荒廃したというパターンが多い。

岸根鼻砲台の概要地図。
いつものごとく、かなり適当なので雰囲気として見てもらえれば幸い。27cm加農砲の北側2.5個分の砲床が駐車場整備として破壊されている。

北側の9cm速射加農砲方面はヤブが深くて行けなかった。航空写真を見るとこれと言った建造物は見当たらないが、実際行けば基礎やら何やら残ってるかもしれない。

砲台のある小山を見た時は結構登るのに難儀そうだったが、ちょっと胃液が逆流する程度で思ったよりは楽に砲台跡に到着できた。

まず最初に見えてくるのは掩蔽部。特に立入禁止の措置はとられていないが、トゲトゲ雑草が多いので降りるか降りないかで躊躇してしまう。

上部は手摺が追加されプチ展望台風になっていた。

観光地として整備されていた名残が銘板として残っていた。トゲトゲ草にあちこち引っ掻かれながら正面へ移動。

ふむふむ「岸根砲台記念館」かということで、とりあえず降りてみる。

森の妖精用の扉は閉まっていたが、人間用の扉には鍵がかかってなかったのでちょっとごめんやっしゃしてみる。

掩蔽部内部。
沖美町時代に整備されたが、平成16年の合併後から整備されなくなっており、中は荒れるにまかせている。

貼られた床板や天井のライト、小さなスタジオみたいな感じだった。

奥から入口を撮影。
遺留物も持ち去られたのか大物は残っておらず、ゴミっぽいものばかり。

それでも戦跡と廃墟めぐりが一度に楽しめて少しお徳な感じ。

唯一残る記念館の痕跡とも言える説明板。
カビと劣化で所々しか読めない。

コンタクトが汚れてくると視界もこんな感じになる。同症状の人はコンタクトの洗浄をお勧めする。

入口脇の柱には電灯のスイッチ。
電源がオンになっていたのでもったいないのでオフにしておいた。

半島北側は公園だった時に駐車場として整備された。あったはずの砲床やら掩蔽部やら何の痕跡も残さず、ただ雑草が繁るのみ。

砲台横が散策路になっていたので回り込んでみる。

掩蔽部の上部分にも上がれたので行ってみた。プチ展望台ということでポールが立ってただけで目ぼしいものは無し。やはりヤブがひどくて奥には行けなかった。

唯一残存する砲床。
側面の壁には一時的な砲弾置場が見られるが、砲台自体の痕跡はほぼ皆無。

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