高烏堡塁 その2


現在は音戸の瀬戸公園として整備されている。
まぁ、高台にあって眺めも良いし、公園としてはなかなかうってつけのロケーション。

清盛が一日で切り開いたとされる音戸の瀬戸を臨む。近辺には多くの砲台跡が残っており、戦跡マニアにはウハウハエリア。


28cm榴弾砲砲座跡。
砲座のみで砲床の跡は残っていない。

砲座は3つ残されており、上の写真と別の砲座。
同じような写真をわざわざ載せる必要があるのかと鏡に向かって自問したが、「せっかく撮ったし」と自分が言うので掲載。

さらにしつこく、もう一つの砲座。
胸墻部へ上がる階段が残っているが、コメントのしようが無いくらい同じような写真。

観測所跡。少し見難いが、写真中央上部に清盛像が見えている。
中央右側には上に昇る階段があるが、塗りこまれており上がることはできない。

砲側庫も残されているが立入禁止となっている。

いつも見るレンガ造りでなく、花崗岩でできている砲側庫入口。
まぁ中は特別変わったものではないだろうし、人も多くいたので、無理して柵を乗り越える必要もなかろうと柵の外側から撮影。

上のものより深い砲側庫。
こちらも階段を降りることはできない。さっきの砲側庫より深いのでこちらは内側を見ることができない。

これといって特長もなく、普通の公園みたいな胸墻部。

胸墻部に設けられた展望台。
上ではプチホームレス達が楽しげに酒を酌み交わしていた。

楽しげなプチホームレスの横から遠慮しつつ瀬戸内海を撮影。
昔の乞食と違って、現代のホームレスはとってもアグレッシブ。そんな彼らに「税金おさめてる?」とやさしく問う勇気などもちろん持ち合わせていない。

胸墻部に残る遺構。
何らかの基礎なのか、揚弾井のようなものなのか、これだけではさっぱり分からない。

公園化は進んでいるが、まぁ近くによったら見ておいた方がいいかなと思う遺構だった。

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