姫路城 その5

「ほの門」をくぐって目の前には腰曲輪。左側には渡櫓が続く。往時は塩倉などに利用していたらしい。渡櫓の名がついているが内部は貫通していない。
登ってきた敵兵は「ほの門」をくぐって当然前に進もうとするが、天守へ続く通路は実は右斜め後ろにある。奥には「への門」があるが備前丸へ抜けてしまうだけで天守へは行けない。

上の写真位置から左に見える「イの櫓」。軒を支える方杖が目を引く。

「ほの門」を城内側から撮影。

石垣横の「水の一門」と油壁の築地塀。この塀は秀吉改修時からのものとされている。

「水の一門」付近から見上げた天守。角を守る石落は袴腰型と呼ばれるものである。

家紋の入った丸軒瓦が一同に展示。

腰曲輪渡櫓(多聞櫓)。中はがらんどうで大半の人がぐるっと視線をめぐらしてすぐ出て行く。修復でこれ以上奥には行けなかった。

「姥が石」。
姫路城改修の際、石垣の石不足に悩む秀吉を見かねて老婆が使ってくれと差し出した石臼だと言われている。

姥が石の場所。
結構分かりやすいので実際見落とすことはほとんどないと思うが…。

池田氏の家紋揚羽蝶と豊臣家の桐紋が見られる丸軒瓦。

「水の一門」をくぐって左に直角に曲がると「水の二門」がある。

「水の二門」付近から振り返って「水の一門」を撮影。門の奥に見えるのは天守群の一角。

「水の二門」。右手は「ニの櫓」。

振り返って「水の二門」を撮影。
巨大な天守へ続く通路とは思えないほど狭い。平山城の中核に向かうにも関わらず通路は下る、見学でも一瞬道を間違えたと思ってしまう。往時の敵兵にも同じ錯覚を持たせる効果があるだろう。

「水の三門」。一〜三門のどれも狭く高さも低い。一度に多くの敵兵を通さないようになっている。

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