名古屋城 西ノ丸・御深井丸・御塩蔵構周辺その2

西北隅櫓を内側から撮影。南、東面にも破風が見られる。説明板には「古材を使用した形跡はあるけど、清洲城のとは限らないよ」ということが難しく記載されてある。
木の葉で見にくいが内側二面の千鳥破風を見ることができる。

西北櫓千鳥破風の蕪懸魚。細かい所ではあるが、丁寧で美しかった。

本丸の北東に位置する御塩蔵構。御深井丸、搦手馬出と狭い橋台でのみ連結されている。武器や食料の備蓄庫であった所だけあって簡単には侵入が不可能となっている。現在は竹林、夏は蚊の襲撃がすごい。

御塩蔵構の外堀石垣。
堀を登ってくる敵に対し、正面だけでなく、横からも攻撃ができるよう(横矢)に、曲輪の隅部分を内側に織り込んでいる。これは入隅と呼ばれる横矢の一種。
確かに堀を登る敵兵に対し、背中側からかなり有効な攻撃ができそうだ。




御深井丸外堀石垣を北面方向から撮影。石垣を内側に屈折させることによって正面だけでなく、横からの攻撃も行えるようになっている。ただ城壁の直線が長いと一つの入隅だけでは中央部の攻撃が有効に行えなくなるので、連続的に入隅を設ける(入隅が出来れば当然出隅も出来るので入隅と出隅は交互に現れるのだが)「雁行」という方式がとられている。




塩蔵構から本丸北東部を撮影。北東隅には東北隅櫓が建てられていたが空襲で焼失、現在は櫓台のみ残る。このあたりは観光客の往来も少ないが、築城当時の石積みが残っている。他の箇所は江戸中期・明治期の修復による積み直しが多い。


 パノラマ

同じく塩蔵構から東北隅櫓〜東ニの門方面を撮影。東ニの門は本丸搦手にあたり、外側には本丸搦手馬出が築かれていた。こちらも当初は本丸馬出と同じく、多聞櫓と高麗門という厳重な設計が予定されていたが、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡したため工事が中止された。
石垣の残存度では大手馬出よりもこちらの方が分かりやすい。現在搦手馬出はくるみ林となっており、鬱蒼とした雰囲気がただよっている。

御深井丸東端の石垣、御塩蔵構に向かう門付近。整えられた巨石を用い、あまり高さはないがほぼ垂直に近い角度となっている。

同じく、御深井丸東端の石垣。喰違虎口となっている。表馬出と同じく石垣の上には多聞櫓が築かれる設計であったが、大阪城が落城したため、築かれなかった。

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