海岸に突き出た山に築かれた海賊城。最初は鵜島城と呼ばれていたが後に下田城。城の周囲の大半は断崖を隔てた海で囲まれ、陸地と接するのは東側のわずかな部分だけであった。これら天然の要害に加え、尾根上に多数の曲輪を設けた堅城であった。
15世紀後半、北条早雲が伊豆を支配。伊豆南岸の要であったこの城は、北条水軍の根拠として屈指の海賊城として整備されていく。
1588年、きたるべき豊臣秀吉との合戦に向け、南伊豆の清水康英が城将として送り込まれる。翌1589年には南伊豆近隣の土豪らが入城、この時、兵糧が運び入れられ、城も更なる改修を受けた。
1590年、豊臣秀吉による小田原攻めの際には、長宗我部元親、安国寺恵瓊ら率いる1万の軍勢が下田城を包囲した。康英率いる約600の城兵は、寡兵ながら一ヶ月余りに渡って城を死守するも、その攻め寄せる大軍の前に衆寡敵せず4月23日、降伏開城する。
北条滅亡後、家康が関東に入封すると、下田は戸田忠次に与えられた。関ケ原後に息子尊次が渥美に転封になると廃城となった。以後天領として幕府直轄地として支配された。 |