この地は諏訪神社神官の子孫である諏訪氏が代々領していたが、頼重の代に武田信玄の侵攻をうけ占領された。武田家滅亡後、織田家の傘下となり諏訪氏は再び諏訪の地を領することとなったが、秀吉によって関東に移封された。高島城はその後に入った日根野高吉によって築かれた。昼夜突貫作業で築かれた城は領民の恨みを買うものの、河川を掘がわりに用い、諏訪湖から浮かんで見える「浮城」として強固な城となった。
関ケ原の後に再度諏訪氏が領することとなったが、初代藩主頼水は今後合戦が起こる事はないと判断し、新たな土地を開拓する為に湖の干拓工事を行なった。その為、湖の水位は下がり、湖岸も引いた為、当初の浮城では無くなった。
この後、諏訪氏10代が幕末まで続いた。 |