諏訪氏の一族高遠氏が築城と言われる。7代頼継の時、武田信玄に破れ開城。その後秋山信友らによって改修をうけた。1562年武田勝頼が城主となったが、信玄の長男義信の死亡により甲府にへ移った。その後は信玄の弟武田信廉、続いて勝頼の異母弟仁科盛信が入城した。
1582年織田信長の甲斐侵攻で他の御親類衆や譜代の臣が自落、謀反を繰り返す中でこの城だけは徹底抗戦をした。信長の嫡男信忠も攻めあぐねたが最後は自ら攻城に加わり落城させた。その際全員が玉砕したと言われる。
徳川治下では毛利・京極・保科・鳥居・内藤と城主は変わり、内藤家の時維新を迎えた。
各曲輪は土塁や堀で防御され戦国時代の縄張りを今でも垣間見ることが出来る。 |