彦根城その2 

  


廊下橋の下の石垣。石垣の組み方が異なるのは時代が下ってからの修理で工法が異なる為。左側が落とし積み、右側が牛蒡積。

廊下橋近くの合坂。やはりこの方式だと兵の移動に滞りが発生する可能性が高い。
塁への面積が狭いためにこの方式を使用しているのだろうか。

廊下橋の下〜鐘の丸〜天秤櫓へはループ状に登ることになる。
写真は鐘の丸から撮影した重文指定の天秤櫓。
長浜城大手門からの移築と伝えられている、橋を中心に左右に櫓を配し、天秤のように見えることから名づけられたが、実際には左右の櫓の切妻方向が逆になっている。


 パノラマ

向かって右側の櫓を撮影。理由は特になし。

廊下橋下から鐘の丸への石段から撮影した天秤櫓の左側。
これで廊下橋を落とせば本丸への侵入は確かに難しくなると思われた。

廊下橋から天秤櫓右側を臨む。
最初に訪れた時にはさほどに思わなかったが、2回、3回と回数を重ねる度に見学時間が長くなった場所。

天秤櫓を越えて本丸を臨む。

反対側から撮影した天秤櫓。こちらから撮影するとやはり味気ない。

本丸への最後の関門となる太鼓門櫓。この門も移築されたもの。
現在は彦根城のジオラマと各地の城の写真が掲載されている。

本丸内側から撮影した、太鼓門櫓。説明によると内側に壁がないのは太鼓の音を響かせる為だということであった。

太鼓門櫓東側。壁が無く、柱だけとなっている。

太鼓門櫓内部。中央には彦根城のジオラマが、まわりには全国各地の城の写真が掲載されている。


ちなみに彦根城と高松城は井伊直弼の二女が高松藩松平頼聡に輿入れした縁から姉妹城となっているらしい。なんのことやらさっぱり…。

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