松本城 その2

外からは見えない天守閣3階。「五層六重」(外から見ると五層建てで、内部は六層)の1差はこの階にある。普段は倉庫として使用し、戦時には武者溜まりとなったらしい。

左が矢狭間、右が鉄砲狭間。穴は外壁より内壁の方が広くなっており、広角的に攻撃が行える。

外から見た矢狭間(左)と鉄砲狭間(右)。割合的には矢狭間の方が多いらしい。やはり矢の方が数が多いのか、矢狭間は鉄砲でも使えるからなのか…。

石落としを内側から撮影。蓋がしてあるので下を除くことはできない。

石落としを下から撮影。石垣を登る兵はこういうアングルで石垣を眺める。石落とされればイチコロ。避けて登ればいい気もするが、石垣に石が当たるのでそうは簡単にいかないらしい。

大天守閣から撮影した小天守閣。

月見櫓内部。天守閣築造のおよそ50年後、松平直政によって築かれた。時の将軍徳川家光の善光寺参拝時に将軍を迎える為に築かれた。三方吹き抜けで非常に風通しが良い。
天守閣に直接月見櫓が接合されているのはこの城のみ。


天守閣の最上階と共に観光客が座り込むことが多く、写真が撮りにくかった。

外から撮影した月見櫓。三方吹き抜けで防御性が全くないことが分かる。

二の丸の北西の所には、後の戸田氏(1726年〜明治)時代には、茶室や花畑があり、城主の憩いの空間であった。
そこへ行くのには、水野氏(戸田氏の前の城主)の時には、天守北側の埋門から板橋がかかっていたが、戸田氏時代になって、足駄塀と呼ばれる塀(城の堀に板塀が横断しており、緊急時にその塀を倒す事によって臨時の橋とする)になり通行が不可となったので、水門から対岸の、現在藤棚のところに「舟附」をつくり、小舟を使って内堀を渡っていた。


(松本城観光事務所の説明文より引用)
内堀外側から撮影した本丸水門跡。

大天守閣千鳥破風。「かぶら懸魚」と呼ばれる種類の懸魚で飾られている。


天主最上階はもともと高欄をめぐらせてあった外側に壁をめぐらせたものらしく、五階とのバランスが若干おかしいのはそのせいか。

辰巳附櫓の懸魚。建造時のものと言われている。材質はケヤキ。

天守閣から西不明門を撮影。橋は昭和30年に架けられたものだが、史実に基づいた橋ではない。
橋の上は絶好の天守閣の撮影スポット。観光客が記念撮影の順番待ちをしていた。

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