松江城 その3

天守の破却こそ免れたものの、城の荒廃は甚だしい状態であった。しかし明治23年に元藩主の松平家に払い下げらると、本丸・二ノ丸を中心とした整備が行われた。


二ノ丸西側ではこの明治の整備期に築かれた記念碑、興雲閣、松江神社などが見られる。


写真は記念碑。明治19年、当時の県知事の呼びかけで集められた浄財により作られた。


何が書いてあるのか全く不明。

明治36年、天皇の山陰地方への行幸を実現させるために築かれた、ロシア宮殿「風」建造物。
日清戦争勃発により、天皇の行幸は叶わなかったが、明治40年皇太子(後の大正天皇)の宿泊所として使用された。


昭和48年からは「松江郷土館」として公開されている。

ロシア宮殿がどんなものか詳しく知らないが、建てた大工もあまり知らなかったらしく、屋根は入母屋瓦屋根の「擬」洋風建物だと説明板に記載されてあった。

内部は郷土館として、この地方の産業や文化についての展示が行われている。
天井や柱など、外観と比較して和風な雰囲気を持つ一階部分。

シジミ漁のジオラマ。
展示物は全体的に古臭い感じで、地方の民俗資料館を彷彿させる。

和チックな一階にそぐわない吹き抜けの大階段を登って二階へ。
踊り場の半円筒形の窓は地味ながら背後から入る光が美しく、写真撮影向けだと思ったが、中央の窓部分に立てかけられた板とそこに貼られた松江PRポスターで興醒め。

同様に流行語大賞にもなった某ポーズ像が踊り場に置かれているのはいただけない。
いや、ポーズが悪いとかいう意味でなく、置く場所が悪いということで。

踊り場で反転して二階へ。
肖像画は松江松平家初代藩主、松平直政…ではないかと思うが写真取り忘れて不明。

この建物名の「興雲閣」でなく「興雲館」の書。明治22年に建てられた別の建物らしい。

二階展示室。
市民の作品ギャラリーとして使用されているようだ。とりあえずスルー。

拝謁所兼応接室。
この部屋だけは妙に洋っぽい。まぁ一応ロシア風建造物なので「妙に」と言ってはおかしいが、そう感じたのだから仕方ない。

変なチェア。
スケベ椅子では無さそう。

出られるとは思わなかったべランダにも出られる。

制限はあるので、隅から隅まで行くことはできない。

ベランダは洋風なのに、見える景色は純和風。お寺の縁側から外人墓地を眺めているような感じ。

興雲閣の隣には明治32年建立の松江神社。松江松平家初代藩主である松平直政を祀っている。
朱印をもらおうと思ったが社務所は無人だった。

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